魚の感想

twitterの外付けの感想置き場として使っています。

コロナとゴジラへの感情が似てるじゃんって話

コロナウイルスの1日の感染者数が東京で1000人を超え出したあたりから妙なテンションになってきて、自分がコロナに抱いてた感情ってもしかしてゴジラへの感情と同じものなんじゃね? ということに気付いてしまった。

 

ゴジラへの感情というのはザックリ言えば「ゴジラ全部ぶっ壊せ〜!!」という感情である。ゴジラvsスペースゴジラは福岡が舞台なのだが、福岡在住の僕はこの映画が楽しくて「ゴジラ〜! もっと南の方に来い! 弊社を壊しに来てくれ〜!」と心の中で叫ぶ。

 

同じように、毎日コロナが猛威を奮っているニュースを見ると“もっとやれ感”があるのだ。

 

ゴジラを災害的なものとして捉える(昭和ゴジラはヒーローだったりするけど今回は置いておく)と確かに共通点のある二者だが、ゴジラはフィクションで、コロナは現実の脅威という決定的な違いがある。

ゴジラに踏み潰されることは無いが、コロナには明日にでもかかって死ぬ可能性があるのだ。なのに感情ではフィクションと同列のものとして受け取ってしまうのは何なのだろう? 状況への慣れ?

 

理性で考えれば医療従事者や失業するかもしれない飲食業者の苦労は分かる。そういう人たちの事を考えるだけでも「コロナもっとやれ」なんて言ってはいけないことは当たり前に分かる。

でもなんだろう? なんか、政治家とか大物社長や国際組織のトップがひいひい言ってるのを見るのが楽しい。人々が分断されていくのを見るのが楽しい。ツイッターで文句ばっかり言ってる人を見るのが楽しい。オリンピックが延期になったのが楽しい。どんどん縦軸に伸びていく棒グラフを見るのが楽しい。みんなマスク付けて歩いているのがディストピアみたいで楽しい。今までの社会が崩壊していく様を眺めるのを楽しんでしまっている。僕の脳の反社会的感情を形成するシナプスバチバチ働くのだ。

 

僕には失うような子孫も財産も仕事の名声も無い。家族はいるけれど遠くにいるので自分経由で感染させる心配もない。高齢者でもなく、糖尿病や肺炎も持っていないし、感染しても死亡率は低いだろう。そういう人間だからゴジラを見る時のようにこの現実を達観して見てしまっているのだろうか? それは危険思想だろうか? それとも当然の成り行きだろうか?

 

それか、逆に、めちゃくちゃ怖いのかもしれない。

怖くて耐えられないので、できる限りの感染対策をして自分の身を安全圏に置き、ゴジラのようなフィクションと同じものとして無意識のうちに考えて、達観して、精神の健康を守っているのかもしれない。

「いいぞ! 社会をめちゃくちゃにしてしまえ!」とか思ってるくせに感染対策とか手指の消毒とか最新の医療情報に敏感だし、接触確認アプリもちゃんと入れてるのは矛盾ではなくて、そういう心のメカニズムなのかもしれない。

だとすると、これは正常な思考?

 

なんだかもうよく分からなくなってきたのでやめるが、はっきりしているのは「いいぞもっとやれ!」的な感情はあんまり表に出さずに隠しておいた方がいいということだ。そういう感情をぶつける場所はフィクションに用意してあるので、わざわざ現実に向けて投げる必要は無いと思う(自戒を込めて)。

 

今のコロナの大暴れにエンタメ性を感じているのは僕だけでは無いと思ったのでこういうブログを書いてみた。これは、自分もそうだよという意思表明と、自分の感情を文章化したまとめだ。

 

連休明けのオタクにアニメの話を振らないで下さい

年明け初出勤。隣のデスクの人から「年末年始で鬼滅の刃をイッキ見したよ〜映画も見たよ、面白かった〜。〇〇君は何か見た?」と声をかけられ、咄嗟に頭に浮かんだのが

ごちうさ3期

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…

・おちこぼれフルーツタルト

の百合豚オタクアニメデッキ3選しかなかった。

 

会社のおじさんとこのデッキでは戦えないので「あ〜いいですね〜僕も映画行きましたよ〜」みたいな感じでなんとなくお茶を濁して終わったのだが、後から考えてみれば別にアニメ限定の話題を振られたわけではなかったので、ガキ使とかお笑い番組を見てましたとか答えればよかったじゃないかと苦悶した。

 

ただ何故かその時はアニメデッキしか脳内に浮かんでこなかったのだ。

そこでそのままおちこぼれフルーツタルトの話を職場で始めないあたりが僕の社交性の上限だし、アニメデッキしか用意できないところが僕の社交性の下限だと思う。

ここら辺のどこかに僕の社交性が眠っている。

死んだペットの姿を再現できる記憶力、なし。

こんばんは、最近なぜか早朝に一瞬だけ目が覚める魚の精巣です。

 

今日は夢の話をします。現実には何もブログに書けるような色味のあることが無いので夢の話ばっかりでごめんね。

(そういえば夢の中は色が無い人もいるらしいけど、僕の夢はフルカラーだな。)

 

何も無い白い空間に立っているところからその夢は始まった。本当に白いだけで何も無いので、どれくらい広いのかもよく分からない。

「白いな……? 夢か?」と僕は思った。

たいていの夢の中で、僕は自分が夢の中にいることを自覚できている。いわゆる明晰夢というやつだ。

 

すると、足元になにかの気配がある。僕がその気配に気づいた瞬間、その生き物は僕の視界に映る前に、先手を打つように鳴き声を上げた。

「ぷごっ! ぷごっ!」

あっ、この声には聞き覚えがあるぞ……! ”プースケ”だ! プースケがいる!

 

”プースケ”というのは昔実家で飼っていたパグ犬だ。プースケは7,8年ほど前に死んでしまった。10数年生きたので犬の寿命的にはそれなりの高齢だったが、正直僕はプースケがそんなに長生きするとは思っていなかった。

 

その理由の一つは、プースケがかなりの肥満体だったからだ。散歩に連れて行くとすぐ疲れてしまって休憩しながら歩いたし(むしろ散歩を嫌がっていた)、息をするときも「プシュ~プシュ~」と空気が狭いすき間を通り抜ける時の音が出ていたし、鳴き方もなんか変になっていて「ぷごっ! ぷごっ!」という小さいブタみたいな声を出していた。

 

夢の中の鳴き声はまさしくプースケのものだった。とても懐かしい。

死んだペットが夢の中に出てくることが本当にあるとは!

僕はすぐに下を見た……

 

 

そしたらそこにこんなヤツがいた……

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あれ? ……なにこれ?

 

えっ、パグってこんなんだったっけ?

 

パグってもっとこう

 

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こんなんじゃない? 全然シワが寄る場所が違うんだが……

これ本当にプースケか?

 

f:id:shirako_dayo:20201219163111j:plain>「ぷごっ! ぷごっ!」

 

あっやっぱりプースケだ! 絶対プースケだ!

 

夢の中のプースケ(パグ)は僕の記憶力の影響を受けてパグとは思えない全体的にブヨブヨした肉のシワが寄っている謎の生き物に変貌していた。

ピクミンの敵みたいだ。もしくはデカいハムスターとオナホの間の子供みたいだ。

 

だが形以外は紛れもなくプースケなのである。

「プースケ~プースケ~」と昔のように呼ぶと、昔と同じように体を足にこすりつけてくる。プースケの毛は抜けやすかったので、短い毛がズボンにびっしり付く。

プースケは背中に爪を立ててゴシゴシすると気持ちいいのかよく喜んだ。同じように夢の中でも背中を掻くと「プキプキ」と鳴いて喜んだ。

プースケはしゃがむと飛びついてくる犬だった。しゃがむとやはり飛びついてきた。僕が夢の中で着ていたカッターシャツはやはり毛だらけになったが、夢の中なので別にいい。

 

しゃがんで近くで顔を見ると、やはりパグ犬の顔ではなく僕の想像力の無さが生み出したオナホみたいな犬には変わりなかったが、目は生前のプースケと同じだった。

 

プースケは右目を失明していた。夢の中のプースケも、生前のプースケと同じように右目が不自然に濁っていた。

 

プースケが右目を失明したのは僕のせいだ。

 

散歩中に僕が転んで、転んだ拍子に蹴りあげた石が右目に当たった。

プースケが「キャン!」と吠えて右目から血が流れた。

 

動物病院で診てもらうと、角膜が完全に破れていて、その時点ですでに失明していた。できることは手術で傷口をふさぐことだけだという。

病院でそれを聞いたとき、僕は気分が悪くなったと言って外に出た。病院の駐車場で何も考えられずボーッとしていた。病院の薬の臭いと罪の意識に耐えられなかった。

 

こんな大怪我をして、犬という生き物は正常に生きていけるのだろうか? もの凄いストレスを受けるに違いない。きっとプースケの寿命はほとんど消えてしまっただろうとこの時思った。

 

だから僕は、プースケが長生きするとは思っていなかった。自分のせいで死んでしまうんだと思っていた。

 

でもプースケは僕の予想に反してそれから何年も生きた。右目を失っても相変わらず食欲は衰えず、祖母があまり量を考えず与える犬用ジャーキーをバクバク食べるものだからどんどん太っていった。

 

家族はプースケが失明したことは自分のせいではないと言ってくれたが、わざとではなくても自分のせいだと思う。

家族は僕を責めなかったし、プースケも僕を責めることはなかった(犬なので責めようがない)。だから僕の罪の意識は宙ぶらりんになって、プースケの右目を見るたびに胸の中に何度も降りてきた。そしてだんだんそれは罪悪感から嫌悪感に変化していった。

 

そうだ、正直に言おう。僕はプースケが長生きしないと思っていたんじゃなくて、心の奥底では早く死んでしまえと思っていたんだ。そうすればもう、あの右目を見なくて済むから。

 

自分の本心に気付いたのはプースケが死んだ後だった。プースケが死んで何年か経ったあと、どこかでホッとしていた自分に気付いたからだった。

こういうことから見ても、自分がきれいな人間ではないことは明らかだと思う。もしもプースケと僕の立場が逆だったら……と思うと、ふざけんじゃねぇいい加減にしろよって感じだ。

 

そんなプースケが夢に出てきた。

もしも夢に意味があるとしたら、これはどういう意味なんだろう?

 

分からないが、夢の中のプースケは変な形をしていた、でも目は同じだった。

そして懐かしくて、可愛かった。

 

夢から覚めた後、僕は罪悪感と自分の冷たさを思い出したが、それでも寂しさがいくらか勝っていた。

本当に勝手だと思うができるならもう一度プースケに会いたい。プースケがいないってこんなに寂しかったんだ、ちゃんと好きだったんだ。

 

夢を見てから数日後、街で散歩しているパグ犬の子犬を見かけた。

その子犬は横断歩道を渡りながら飼い主の足に飛びかかりまくっていて、飼い主がすごく邪魔そうにしていた。

「あれ、プースケも子犬の時あんな感じだったな? パグ犬ってみんな”ああ”なのか?」

次もしも夢にプースケが出てきた時のために、僕は横断歩道を渡り終えたそのパグ犬の姿形をしっかり憶えておこうと思った。

勤労感謝の日って何に感謝すればいいんですか?

少し前に会社を辞めた人と会っていた。

 

今の会社は博多の方にあるらしい。

慣れないプログラム言語でも、優しい先輩が丁寧に教えてくれるらしい。

給料は必死で残業して手に入っていたくらいの金額が、残業無しで手に入るくらいになったらしい。

気楽だから楽しいらしい。

 

(僕が今いる)会社を辞める時、社長や役員の説得があったらしく、待遇を良くするから考え直さないか? などと言われたらしい。その人は「待遇じゃ、無かったんだよなぁ……問題は」とボヤいていた。

 

それを聞いて、今の会社では辞めると言い出すと偉い人から説得があるということと、辞めると言い出すと待遇が良くなるということを知ってしまった。

そして、仮に、自分が辞めると言い出した時に説得も待遇の改善も持ちかけられなかったら落ち込むなと思った。

 

僕は色々聞きたいことがあったつもりだったのに、特に何も聞けなかった。

「そもそもなんで辞めたんですか?」

とか

「辞める時ってどうやって切り出せばいいんですか?」

とか

「転職先ってどうやって探しましたか?」

とか……

 

聞きたかったけれど、自分の質問が全部自分本位だったので気が引けた。あとアルコールの量がもう少し足りなかった。それに数日前から手首が痛くて、曲げるたびに痛みが走って集中できなかった。

 

結局、「彼女と最近どうですか?」みたいな質問をしたんだと思う。そろそろ結婚しようと思っているよ、みたいな話の方向にその後移り変わっていったから、多分そんなことを聞いたのだろう。

 

僕はその人みたいになりたいなと思ったが、その人のどの部分に憧れるのかイマイチ分からない。

新しい職場に満足しているところなのか、辞める時に引き止められるほど必要とされていたところなのか、結婚するところなのか。よく分からない。自分が何を求めているのか、何を求めればいいのか分からない。

 

ただその人は前を向いているような気がした。全体的に明るい雰囲気をまとっていた。

そういうなんとなくの雰囲気にあてられて、電灯に群がる羽虫のように引き寄せられていたのかもしれない。

 

お店の椅子から立ち上がるとき手を着いたら手首が曲がってめちゃくちゃ痛かった。

その手で敬礼しながら「お幸せに!」なんて言ってみたり、「まだ分かんないからね!?」なんて言われてみたりして、機会があればまた会おうみたいな話をして、解散した。

 

そういえば、今日はいい夫婦の日らしい。

そして明日は勤労感謝の日だ。

芋焼酎もいいもんだ(芋だけに)

今日はお酒の話をしようと思う。

 

先日、仕事終わりに会社の飲み会(飲み会と言ってもまだコロナが怖いので少人数の会だったけど)があった。

僕はいつものように定時ギリギリまで仕事を振られ続けていたので開始に間に合わず、遅れていくと、既に始めていてくれたのでテーブルの上には既に酒が用意されていた。そこにボトルで置いてあったのが芋焼酎の「さつま島美人」であった。

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 なるほどぉ、芋焼酎か……

 

福岡の人は僕の観測した限りだと焼酎は芋焼酎が好きだ。福岡に越して間もない頃、これが僕の中では意外であった。というのも、九州の人達は南に行けば行くほどキツイ酒を好むと自分の中で勝手に思い込んでいたからだ。

 

九州以外の人達から見れば、九州の人間は酒に強く豪快なイメージがあるかもしれないが、決してそんなことはない。実際僕は酒に弱く、チビチビっと飲むのが好きだ。

我々九州のメンズは九州男児という言葉をプレッシャーに感じている。

 

しかし、そんな九州の人達でさえ、鹿児島以外の県の人達は鹿児島県民の酒の強さはヤバイという共通イメージがあるように思う。(これを鹿児島出身の人に伝えると「そんなことはない」と言われるのが常なのだが)

 

 熊本は米焼酎

言い忘れていたが僕の出身は熊本で、就職で福岡へ来た人間だ。

 

熊本県民は一体何を飲むのかと聞かれたら「米焼酎」と答えるのが適切だろう。なにせオッサン世代の家であればどこでも「白岳」の紙パックが置いてある。

 

熊本県民がなぜ米焼酎を好むのかハッキリとは分からないが、おそらく酒造の影響だろう。「白岳」を作っている高橋酒造は県内にある。もちろん歴史的な理由もあるのだろうが、それを論じるほどの知識は僕にはない。

とりあえず熊本県民は「焼酎=米」のような風土の中で暮らしていると思ってもらっていいと思う。

 

 米焼酎芋焼酎よりもスッキリとしていて飲みやすい。あと匂いも違う、芋焼酎の方がアルコールが濃いような匂いがする(でも度数はあまり変わらない)。

好みの問題もあると思うが、米焼酎に慣れている熊本の人間からすると芋焼酎の濃さがキツイようで、僕の母親はその典型だった。

芋焼酎を飲んだら次の日臭くなるから芋はイカン!」

とか言っていた。普通に考えてどんなお酒であれ飲んだ後は臭くなるのが当たり前なのだが、母親にとっては芋焼酎を飲んだ後の臭いというのはまた別のものだったのだろう。

 

 長島の実習

もう一つエピソードがある。

学生の時、鹿児島県の長島町で課外実習があった。さっきの写真の「さつま島美人」を作っている長島研醸がある島で、なんと島内限定販売されている「さつま島娘」という銘柄がある島なのだ。

 

島内限定という響きにやられた僕は実習の自由時間を利用して合宿所から「さつま島娘」を販売している酒屋まで炎天下の中を歩き、ボトル瓶を抱えてまた炎天下の道を戻るということをやった。

 

僕はその「さつま島娘」を晩飯の後の自由時間にみんなと分けようと画策していた。島でしか買えないお酒をわざわざ歩いて買ってくるという、こんなにも気の利いた事をやってしまったのだから友達からヒーローのような扱いを受けるに違いないと歩きながら思っていた僕だったが、いざみんなに「さつま島娘」を見せびらかすと

「それ、お前飲むの?」

みたいな、期待していたものとは違う反応だった。

 

どうやらみんな僕ほど”島内限定”という言葉にときめかなかったらしく、むしろ芋焼酎だからキツイだろうなと冷静に判断していたらしい。

僕はその場で「島内限定やぞ! 飲まなきゃ損だろ!!」と勢いづいてみたものの、実際に飲んでみるとかなりキツイ芋焼酎だったので1~2杯でギブアップしたことを覚えている。

 

誤解しないでほしいのは「さつま島娘」が微妙だったとかそういうことではなく、お酒が飲めるようになりたての調子こいた学生が、自分の地元とは別の風土で培われてきたその土地のお酒に挑んだ結果ボコボコにされたという話なのである。

 

事実、数年後、今度は教授たちのお手伝いという形で全く同じ実習に参加したとき、「さつま島娘」と再会することになり、その時の僕は自由時間を楽しむ後輩たちの中で一人ポツン寂しくテレビを見ながらゆっくり「さつま島娘」を飲むということをしていた。

この時の僕は「さつま島娘」を飲みながら過去の清算のようなものをしている気分になった。

そして、実習を楽しんでいる後輩たちと自分の比較に時間の不可逆な流れを感じてメランコリックになっていた思うが本当は輪に入れてもらえなくて寂しかっただけである。誰か話しかけてよ。

 

 風土って……

こういった色んな経験や環境から僕は「鹿児島=芋焼酎=キツイ」という印象を持つにいたり、それが「九州の人達は南にいけばいくほどキツイ酒が好き」というイメージを作っていたのだ。

 

しかしこのイメージは就職で福岡に来てから打ち砕かれた。実際には福岡県民も芋焼酎が好きで、自分のいた熊本は芋焼酎(鹿児島)と芋焼酎(福岡)にサンドされていたのだ!

サンドされているならば、熊本県民も芋焼酎のことを好きでもおかしくないような気がするが、なぜかそうはならない。ここらへんがお酒という風土の面白いところだなぁと思う。

 

話を現在に戻す。長いことお付き合いいただきありがとうございます。

 

そういった僕の浅くはあるが色々あった人生経験が、飲み会に遅れてやってきた時の「なるほどぉ、芋焼酎か……」に集約されていると思っていただければ嬉しい。

 

実は、僕は「さつま島美人」を飲んだことが無かった。

 

どうしようか? 正直仕事終わりなのでビールを期待していたんだけど、目の前にあるし、これ飲んだ方が場的にはいいよね……

 

よし、今日はこれを飲もう……!

 

氷を入れる。ロックはキツそうなので水割りにする。でもあんまり薄味の酒は好きじゃないので気持ち多めに「さつま島美人」を入れる。自分の好きな酒の味に気付いたのは何歳の頃だっただろうか? 確実にあの実習の後だったと思う。分量なんてぶっちゃけよく分かっていないが水を入れる。混ぜる。かんぱ~い、すみません遅れて~。飲んでみる。

 

あっこれ美味いじゃないか。

 

「さつま島美人」、とても美味い。

 

お酒が美味しくて話が弾んでしまい、その会では自分の弱みや仕事の悩みを話し過ぎてしまった。

でも、まぁ、いいや。うん、いいや。

 

最近自分が福岡という土地の風土にだんだん合わせられるようになってきた気がする。その土地に行ってその土地のものに好みをチューニングしていくのは楽しい。

短期間でもいい。もっと色んなところに行ってみて色んな風土を体験してみたい。

たぶんもう一度長島に行ったら、僕は今度も歩いて「さつま島娘」を買いに行くと思う。

 

土地の風土っていいよねって話でした。

 

ロケットよりでかいサイロに笑うチェーンソー男の夢

2回連続夢の話(現実のことで書くことが無い)。

 

アサガオの葉っぱのような形のチェンソーを右腕に装着することに成功した僕はこの発明を誰かに自慢したくなり、地元の街に繰り出して「チェーンソー男参上!! チェーンソー男参上!!」と繰り返し叫んでいた。

 

すると、前の方に見覚えのある懐かしい顔の多い集団がいたため、その集団に向かってまた「チェーンソー男参上!! チェーンソー男参上!!」と言うと、その集団が小中学校や大学の知り合いで構成されていることに気付いた。

 

大学の知り合いが僕の右腕のアサガオチェンソーを見て大笑いするが、他の知り合いたちはドン引きしていた。すると中学の同級生が僕の腕を引っ張って(もちろん左腕である)集団から僕を遠ざけてこう言った「おいやめとけ、アレは小学4年生の時の同窓会の集まりだぞ。お前は呼ばれなかったから行かない方がいい」

 

そう言ったそいつは中学の知り合いだし、集団の中には大学の知り合いもいたので小学4年生の同窓会というのは道理が通らないのだが、まぁそこは夢なので「あぁそうか」と夢の中の僕は思った。

 

僕を連れ出した中学の同級生は続けて、「それよりも今からS君の新居に行くんだろ? 一緒に行こうぜ」と言った。あぁそうだった、大学の同期のS君が脱サラして農家になったからその家を見に行く約束をしてたんだったと夢の中の僕は思い出し、中学のそいつと一緒に自転車でS君の家に向かった。

S君の家への道は中学生の頃によく通った道だった。現実にあるその道は夕暮れ時が1番綺麗な道で、夢の中のその道も夕暮れだった。

 

S君の家は農家の家っぽい古い日本家屋で、すごく大きかったがすごくボロボロだった。S君は「中古で買って自分でリフォームしてるんだ」と言ったが、さすがにデカ過ぎて無理だろうなと思った。そのことについては口には出さなかった。

 

それよりも気になったのが、S君の家にやたらでっかいサイロがあることだった。S君がどんな農業をするのか知らないが、そんなに巨大なサイロが必要とは思えなかったし本当にあまりにもでかいので大笑いしながら「サイロでかすぎるだろ! ロケットかと思ったわ」と言っていると、実は隣の家には本物のロケットがあった。

隣の家にある本物のロケットよりもやはりS君の家のサイロの方がでかい。

それを見てまた笑っているとそのロケットがある隣の家から、昔ちょっと好きだった女の子が出てきて色んな意味でビックリした。

 

好きだった女の子と少し話をした。その後S君に「お前、会社なんか辞めて俺と一緒に住み込みで農業しない?」と誘われたので、隣にはその女の子が住んでいるし、会社も辞めたいし、友達と一緒に農業するのなら悪くないかもなという気持ちになった。

 

「とりあえず色々うちを見てみろよ」と言われたのでS君の家をそのまま探索してみた。畑とか小屋とか、外の水道とか、離れとか、色々みているうちに人の気配が消えて完全に一人になっていることに気付いた。

 

あっ、一人だ。

 

と、そこで目覚めた。なんだか自分の願望とか現実とかが全部詰め込まれたような夢だなと思った。起きたときは寂しかったし、そのまま会社に行った。

せっとうこわし

夢の話です。

田舎の住宅街を自転車で走っていた僕は集合墓地のすぐ側を走る道に出た。

集合墓地はかなり大きいらしく、しばらく自転車を走らせてもまだまだお墓が並ぶ。

長々とお墓が続き、最初は綺麗に整備されている金持ちが建てたような豪勢な墓石が続いていた集合墓地もだんだん墓石がショボくなり、地面もコンクリートから土になっていき、雰囲気もどんどんみすぼらしい墓地になっていった。

それでも集合墓地の終わりは見えない。

今は日がさんさんと降り注ぐ真昼なので、怖いということはないが、不気味ではあった。


そのとき僕が考えていたのは自分の墓石ってどんなふうにしよう? というものであった。みすぼらしい墓地を見ていると否が応でもこんな風にはなりたくないと思ったのであった。

すると前から僕と同じように自転車で青年がやってきてすれ違う。

次の瞬間、確実にすれ違ったはずの青年がいつの間にか僕の真後ろにいて

「すみません! すみません!」

と声をかけてくるので、周りが墓地の道で思わず止まってしまう。

「僕のこと分かりますか?」

その青年が聞いてくるので僕は顔をよくよく見てみる。短髪で笑顔が似合う気がする。笑った顔の目元に薄い小シワが入っているが、自分よりも若いであろう、20代前半くらいか、そして絶対に初対面である。

誰だか分かっていなさそうな反応が気に入らなかったのか、その青年はたたみ掛けてくる。

「〇〇さんですよね?」

僕の名前を言ってくる。

「青色好きですよね?」

「納豆好きですよね?」

「〇〇で働いてますよね?」

「〇〇に住んでますよね?」

僕の個人情報を次々言ってくる。なんでそんなこと知っているんだろう、気持ち悪いなと思っていると

「え? なんで分かんないんですか?」

とか言われる。

「っていうか、僕のこと気持ち悪いとか思ってます? さっき自分の墓どうしようかなとか考えてましたよね? その前はこの墓地はずっと続くなぁとか考えてましたよね?」

いつの間にかその青年の言っていることは僕の個人情報だけでなく、僕が考えていることや青年に会う前に考えていたことを全て言い当てるようになっていた。

そして、問い詰めるように質問を連発してくる間もこの青年はにこやかな笑顔を全く崩さないのである。僕はとうとう怖くなった。これはただ者ではない。どうしよう、逃げ出したい。

 


いきなり場面が変わった。何せ夢の中の話である、場面はいきなり変わる。

その場面では僕はイスに座っており、見たこともないおばさんと対面していた。

おばさんは僕を見ながらゆっくり口を開き

「それは、あなた、“せっとうこわし”に会いましたね」

と言った。

せ……“せっとうこわし”? なんだそれは……。

どうやら僕はいつの間にかそのおばさんに謎の青年の話をしていたようなのだ、おばさんは続ける。

「“せっとうこわし”というのは言ってみれば妖怪でね、人の心を読んで、人と友達になろうとしている妖怪なんですよ、まぁ悪い妖怪じゃないから大丈夫ですよ」

 


次の瞬間、目が覚めた。

 


なんだったんだ今日の夢は、ディテールがめちゃくちゃな割には異常に明晰で、起きた後も景色やセリフや青年の顔まではっきり覚えている。

しかも妙にリアルだった。僕は夢の中にいるときに「あっこれ夢だな」と認識できるタイプなのだが、今回は認識も出来ないほどの現実感があった。こうやって書き起こしていると別にリアルでもなんでもないのに不思議だ。

 


なにより突如出てきた“せっとうこわし”なる妖怪だ。なんだその名前……窃盗壊し? 接頭壊し? 意味が分からない。

一応検索してみたけれどやっぱり“せっとうこわし”なんて妖怪出てこない。やはり僕の夢が生み出したオリジナル妖怪なのだろうか?

それにしても「人と友達になりたくて人の心を読む」だなんて、逆に友達無くしそうな特徴だと思うし、初対面の人への距離感の詰めかたも最悪だと思った。ソーシャルディスタンスを守れ。