魚の感想

twitterの外付けの感想置き場として使っています。

唐突に理解した気がする履き慣れない靴を履いてくる現象

デートのシチュエーションで女の子が履き慣れていない靴を履いてくることが理解できない。

 

履き慣れていないからずっと歩いてたら靴ずれ起こして

「痛いっ!」

「大丈夫?」

「靴ずれしちゃった……」

「ったく、しょうがねぇなぁ〜」

「えっ? ちょっと!? キャッ! おんぶなんて恥ずかしいからやめて!」

「あそこのベンチまでだから我慢しろ!」

(やだ、私の心臓の音、絶対聞こえちゃうよぉ〜///)

みたいなことになるじゃないですか。

 

なんで靴ずれ起こすような靴を履いてきちゃうの?

靴ずれって軽い感じで扱われるけれど、地味に痛い(風呂入るとき地獄になる)し、同行者にけっこう迷惑かかるし、デートに靴ずれする靴を選んでくるのは悪手だろう……。

 

特に、映画けいおん!あずにゃんがロンドンで慣れない靴を履いてきて足が痛くなってしまうシーンで「えっ! あずにゃん海外にそんな靴で来ちゃったの!?」と学生だった僕は映画館で思ったものでした。

 

放課後ティータイムはふわふわしてて優しいので、そのままあずにゃんの新しい靴を買いに行くことになりましたが、もしもこれが現実世界の男集団だったら「お前ロンドンに靴ずれする靴で来たのかよ!!」ってツッコミが入らないとおかしいレベルの話だと思うんですよね。

 

そういうわけで、なぜ女の子は大事なイベントに履き慣れない靴を履いてきてしまうのかな〜って不思議に思いながら今まで生きてきたのですが、最近家でボーッとしていた時になぜか唐突に理由が分かった気がしたんです。

 

「あっもしかして! 女の子って大事なイベントの時に新しい靴を履いてくるのでは!?」

なるほど! 新しく靴を用意してくるんだ! すげぇな!

そうか、そう考えたらなんだか当たり前のような気がしてきた。でも新しい靴にすることで靴ずれが起きるリスクとかは考えないんだろうか、うーむ。

 

というかこれは女の人に特有の現象なのだろうか、男の人でもデートの時に新しい靴をわざわざ買ったりするのだろうか?

男であるが故にデートの時男がどんな格好するのか分からない。でも少なくとも、男はあずにゃんのように旅行に新しい靴を用意するということはないように思う(登山で新しい登山靴を用意するとかは別で)。

 

ということは、あずにゃん靴ずれ事件は、あずにゃん放課後ティータイムのみんなとロンドンに行くことを本当に大事なイベントだと思っていたということの一つの描写でもあったわけか、なるほど〜!! となった。

 

あずにゃん、ええ子や……。

 

でも僕は女の子がロンドンに靴ずれする靴で来てたら「海外旅行に靴ずれする靴でなんで来ちゃったの!?」って言っちゃうと思う。

家の周りの長屋っぽい建物の話

いまの家に引っ越してきて2年。

この地域は建物が古い。でも再開発の気配も感じる。新しいマンションや若者向けのカフェなんかの間にボロボロの木造建築とかが立っていたりして、そのチグハグ具合がなんだか面白い。

 

再開発をする理由とか基準みたいなものはよく分からないが、おそらく今後も古い建物はどんどん淘汰されていって最終的に近代的な建物ばかりになるのだろう。そう考えると寂しいものがある。

まだ引っ越してきて2年だから感傷に浸るのはおかしいのだけれども、こういう感情は多くの人の共通認識として心の中にあって、再開発が進んでいる風景をトリガーとして自動的に呼び起こされるような感情なのだろな……。

 

なんの話?

あぁそうそう、建物のチグハグ具合が面白いって話をしたかったんだ。

 

特に僕が面白がっているのはもともと長屋街だったんじゃないかと思われる通りで、この通りも古い建物がポツポツと立っている。

歩いていると、入り口の面が小さくて側面の面積が大きくなっている縦長の、長屋っぽい建物がある。長屋っぽい建物には住宅は無く、古い居酒屋や昔ながらのタバコ屋がそういう建物になっている。

 

この建物がちょいちょいあるので、僕はこの通りが長屋街だったんじゃないかと踏んでいるのだが、実際のところはちゃんと調べていないので分からない。

ひとつ分かるのは長屋の建物はどれもかなり年季が入っていることと、他の古い建物と同じく、再開発によって絶滅の道筋を辿っているということだ。

 

長屋街というものは、長屋同士がピアノの鍵盤のように通りに対して整然とならんでいるものだが、この通りは長屋街とは言えないガタガタとした街並みになっている。

再開発によって長屋が消え、代わりに建てられた今風の飲食店やマンションが長屋街らしい景観をおじいちゃんの歯のようにガタガタした建物の景観に変えてしまっているのだ。

 

僕が引っ越してきてからも、ひとつの長屋が解体された。

解体された長屋の隣には同じく長屋のタバコ屋がある。タバコ屋なのだが、タバコを売っているところを見たことがない。というよりもシャッターが開いているところを見たことがない。

「たばこ」と書かれた時代を感じる鉄製の看板とシャッターに書かれたくすんだ文字に時代を感じる。今時タバコ屋など成立できないだろう、タバコ屋でタバコを買うくらいなら少し先にあるコンビニでコーヒーと一緒にタバコを買う。

 

そんなわけでタバコ屋は店として機能しているようには見えない。タバコ屋ではなく住居として使っているのかもしれないが、人の気配というものを感じたことが無い。

とにかく寂しい印象を受けるのだ。このタバコ屋も再開発の波にあおられて、いつか解体されてしまうのだろう。

 

僕が驚いたのは、このタバコ屋の側壁だ。隣が解体されたことで、このタバコ屋の側壁が見れるようになったのだが、なんと全面にトタンが貼られていた。トタン屋根ならぬトタン壁なのだ。

窓の類は一切ない。そもそも長屋なので側壁に窓がある必要がないのは分かるが、全面トタンということがあるのだろうか?

しかもトタンはかなり古くてサビだらけだ、そしてサビたトタンに穴が空いており、穴の奥には骨組みと見られる木が顔をのぞかせているのだ。

 

言ってしまえばオンボロだったのである。

 

このタバコ屋古いな〜とは思っていたが、まさか見えないところでこんなにもボロボロだったとは思わなかった。

それまでは人が住んでいる可能性を考えていたが、仮に人が住んでいればトタンの穴からの隙間風を受けることになるので、これは住居になっているということは無いんじゃないかという考えに至った。

 

想像してみてほしいのだが、壁の一面全てがボロボロのトタンで出来ているというのはちょっと不気味である。しかし、この長屋が建てられた時代だったり、家主の経済状況等を考えると、単に不気味というだけでは片付けられない物悲しさや切なさを感じる。

 

そしてある日、とうとう、この古いタバコ屋に足場が組まれていた。

 

「あぁ、解体されてしまうんだな」と出し抜けに思った。

 

足場は工事用の防音シートを被せられて中身が見えなくなっていく。

工事が始まってしばらく経った後、とうとう足場が取り外された。

 

意外なことに、タバコ屋は解体されていなかった……そればかりではない、なんとサビと穴だらけだったトタン壁が新しいトタンに張り替えられていたのだ。

 

そうなのだ。新しいトタンに張り替えられていた。

僕が勝手に解体工事だと思っていたものは、トタンからトタンへの外壁リフォーム工事だったのだ。

 

なぜトタンを剥いでトタンを貼ったのか。普通はコンクリートとかにしたりしないのだろうか。そこには家主の厳しい経済状況が反映されているのかもしれないが、そんなものを通り越して狂気的なものを感じる。というか、人住んでたんだ。

 

いま、タバコ屋の隣の解体された土地は工事予定地となっている。出ている看板を見ると、今度はマンションが立つらしい。

おじいちゃんのガタガタの歯のようになっている元長屋街は、インプラントで元々の長屋の形とは歪に異なる新しい歯を与えられようとしている。その隣に立つのはトタン壁のタバコ屋だ。

いつかはタバコ屋も再開発によって小綺麗なマンションとかに変わっていくのだろう。その間だけこのちょっと変わった風景が続くと思うとなんだか面白いのだ。

 

(新しいマンションも壁がトタンだったらめちゃくちゃ怖いね)

さぁ、あの頃のモンハンの話を話をしよう

こんにちは、魚の精巣です。

 

モンハン買っちゃた……///

 

ところで、20代後半のいい歳した大人は、モンハンの話題になった時に

「モンハンはなんだかんだで、友達の家に行ってやるPSPが一番おもしれぇンだよなぁ」とか

「本当は、俺たちはモンハンがやりたいんじゃなくて、モンハンをやっていたあの頃に戻りたいだけかもしれないな」

とか言って昔を懐かしむくらいしか今のキッズにマウントを取ることができない悲しい生き物です。

 

ですが、こうやって懐古に浸ることは多くても具体的に“あの頃のモンハン”がどう面白かったのかを語ってあることは少ない気がします。

思い出を語るのは野暮だからという意見もあるでしょうが、おそらく最大の原因は140字という制約のせいでしょう。こういう長くなりそうなエピソードトークTwitterには向きませんからね。

 

長い話はブログで書けば良い。

 

というわけで、今日は僕の“あの頃のモンハン”エピソードをダラダラと書いていって、具体的にあの頃のモンハンは何があって思い出に残っているのかを伝えていこうと思います。

きっといっぱい楽しい話が出るでしょう。さぁ、あの頃のモンハンの話をしよう。

 

エピソード① イヤンクック剥ぎ取り未遂事件

最初にモンスターハンターというゲームに僕が触れたのは小学生の時で、友達の家でPS2のモンハンを見たのが最初でした。ちょっと触らせてもらうと操作が難しかった記憶があります。

その時すでにPSPでモンハンが出ていました。あの「モンスターハンターポータブル」です。PSPだったら協力してゲームできるから、みんなで買おうよという話になり、親に買ってもらって、マルチプレイというものを初めて体験しました。

 

「うおー! すげぇー! お前の画面に俺がいる!!」とか言って盛り上がりました。

通信や協力プレイというものは、ポケモンのように1対1でやるかスマブラのように一つの画面でしかできないものだと思っていた当時の僕たちにとって、それぞれのPSPの画面でラグなく動き回る複数の3Dのハンター達はかなり衝撃的だったのです。

 

そして、もともとPS2のモンハンを持っていたやつをリーダーにして、僕と、さらにもう一人の友達の3人でイヤンクックを討伐しに行くことになったのです。

 

イヤンクックの素材があれば、ド初心者に取っては結構いい装備が作れます。

しかしイヤンクックみたいなデカいモンスターでも1体につき3回しか素材を剥ぎ取れないということを、僕ともう一人はリーダーから聞かされてこのとき初めて知ります。まだリーダー以外はイヤンクックも1人で倒せなかったんですね。

 

「イヤンクックは3回しか剥ぎ取れないからな」

 

「つまり、(今3人でやってるから)1人1回ずつな!」

 

「「オッケー!!」」

 

実はリーダーもマルチプレイをやるのはこの時が初めてだったので、全員3回づつ剥ぎ取れるということを知らなかったのです。

 

なので、本当は9回分剥ぎ取れるにもかかわらず、イヤンクックの死体を律儀に1人1回ずつ剥ぎ取りました。

そしてそれを3クエスト分くらい繰り返しました。

めちゃくちゃ勿体無いです。1人6回分くらい損してます。

 

4回目のクエストのとき、リーダーじゃない方の初心者の友達が

「あっごめん! 俺間違って2回剥ぎ取っちゃった! どうしよう〜」

と間違えてくれたところで自分たちのミスに気がつきました。

「えっ? でも俺剥ぎ取れるよ?」

「えっ、あれ? まだ剥ぎ取れるよ!? まだ剥ぎ取れるよ!!」

「合計3回じゃないの!? これ1人3回なの!?」

「これ1人3回剥ぎ取れるんだ!! ヤベェ! 今までのやつめっちゃ勿体ねぇ!!」

「逆になんで9回も剥ぎ取れるの? 質量保存の法則に反してね?」

 

今なら1人3回剥ぎ取れるのは常識ですが、初めてのマルチプレイでは物理法則に引っ張られてかなり無駄を食ってしまったというエピソードでした。

でも確かに最初は分からないかもしれないですよね。

 

エピソード② 全身ガノトトス事件

初めは少人数で始めたモンハンは、気が付けば周りの男子ほとんどがやっているほどの人気ゲームになっていました。

 

流行したての頃の小学生たちは「モンハンやり始めたの、俺たちが最初。」と全員言っていました。

おそらく誰が広めたというわけではなく、同時多発的に流行りだしたのだと思います。シンギュラリティですね。

 

あるとき、どうしても緊急クエストのフルフル討伐ができないという友達がいました。

フルフルは、まぁ確かに強いモンスターですが、頑張れば1人でも討伐できるモンスターだったので「なんで?」と思いつつも

「フルフルなんて4人揃えれば楽勝だろ!!」

ということで、そのフルフルが倒せない友達の緊急クエストをみんなでやることになったのですが……

 

そのフルフルが倒せない友達が何故か全身ガノトトス装備で馳せ参じたのです。

※一応解説しておくと、ガノトトス装備は雷属性の攻撃にめちゃくちゃ弱く、フルフルは雷属性の攻撃をこれでもかというほどしてくるモンスターなので、フルフルにガノトトス装備で挑むのは火事現場にガソリン被って突入するようなもの。

 

「お前なんで全身ガノトトスで来てるんだよ! 意味わかんねぇよ!」

「何がしたいんだよ!!」

当然みんなから大ブーイングが飛びましたが

「いや、これが俺の持ってる中で最強の装備だから」

「属性のこと理解してる!?」

「属性のことは理解してるけど、それを差し引いてもこの装備が一番強いという計算」

と言うので、それでもまぁ4人いるし、フルフルが倒せないということはないだろうと考え、緊急クエストを始めたのですが……

 

全身ガノトトスが3回死んで失敗しました。

 

「突っ込むなよ! ガノトトスで突っ込むなよ!!」

「お前らが戦ってる間ずっと見てるのは流石に退屈すぎるから仕方ないだろ!!」

「マジで一撃で死ぬやん。絶対ガノトトスよりも、ショボいゲリョスの方が耐えると思う」

「もしかして、属性のマイナス値って普通の装備の値よりも影響度合いがデカい?」

「デカいよ! -20とかになってたらほぼ即死だよ!」

 

その後もう一度4人で普通にフルフルを倒しました。属性って大事ですよね。

 

エピソード③ ラオシャンロン報連相失敗事件

当時の僕たちが最も興奮していたのはラオシャンロンの討伐クエストです。

 

めちゃくちゃデカいラオシャンロンにひたすら強走薬グレート飲んで双剣の乱舞を腹に当て続けて、うまいこと尻尾を避けつつ、最終エリアで撃龍槍を当てる。

良い双剣じゃないと撃退はできても討伐まではできないんですよね。そして尻尾に当たって散っていく仲間達……。

また最終エリアの音楽が良いんですよね、決戦って感じでテンションが上がる。

 

撃龍槍にロマンを感じるんですよね。ラオシャンロンが立ち上がった後ギリギリまで引きつけてから撃龍槍をブチ当てて大ダメージを狙っていくあの興奮。

 

そういうわけでその日の僕らもある友達の緊急クエストでラオシャンロン討伐をやっていました。

 

初めてラオシャンロンをやる友達(緊急クエストを受注した人)もいるので、首尾は微妙でした。

クリアできないことはないけど、撃退で終わっちゃうかもな〜という感じです。

 

そして最終エリアへ、いくぜ最終ラウンド! ブチ上がるぜ音楽!

 

ラストの追い上げで前半の失速を挽回! 撃龍槍を決めれば、撃退ではなく確実に討伐までいけるんじゃないか? そういう雰囲気になります。

 

「これ、ここで(撃龍槍)行こう!」

「行こう! 誰か行ける!? もう今行って欲しい!」

「俺行ける!」

 

下のフィールドで戦っている時から撃龍槍のボタンまで行くための長い梯子が良い感じにわずらわしいんですよね。

 

そして立ち上がってギリギリまで近づくのを待ちます。このタイミングが技術の必要なところ!

 

「あれ? 出ないんだけど!?」

「は? なんで?」

撃龍槍が出ないんだけど!! えっ誰かもう押した?」

「押してない!」

「押してない!」

「もしかして、赤いボタンの話してる?」

「してる!」

「えっ押したの!? いつ押したの?」

「クエスト始まってすぐ探索してたら見つけたから押した」

「すげぇ最初じゃん!!」

「なんで押したら押したって言わないんだよ!」

「そんなん言われても知らんし! 初めてだから分かんなかったし! 誰か教えてよ!」

「でも気付くでしょ? なんかヤバいって」

「確かに一瞬画面が切り替わってなんか棒みたいなのが出てきたな〜とは思ったけど、意味不明だったからスルーした。そしたら最終的にラオシャンロンがここまで来たから、もしかして大事なやつだったのかなってめちゃくちゃ焦ったけど言い出せなかった」

「1人で抱え込んでんじゃねぇ!」

 

というわけで僕らは報連相の重要性を学び、それを教えてくれたラオシャンロンは討伐されずにすごすごと帰って行きました。

 

 

 

 

はい。以上です。

“あの頃のモンハン”の話、3つでしたね……。

あと、2ndくらいの頃から僕らの中で出回りだした改造クエストのこととかを少しばかり書けるんですが、長くなってきてしまったので、ここらへんでお開きにしたいと思います。

 

面白かった?

いや、面白くなかったとしてもいいんですよ、だって、なんだかんだであの頃が1番おもしれぇンだからサ……

雑記 ここ2、3週間の所感

僕にとって3月というのは相性の悪い月らしく、今月に入ってから心の体調があまりよろしくない。

仕事面においては1年間ずっと無気力であったのだが、今月に入って仕事だけじゃなくて生活の方でもどんどんテンションが上がらなくなってきている。

 

ちなみに去年の3月はこんなことになっていた。

shirako-dayo.hatenablog.com

 

今年はなんとか会社には行けているが、結構ギリギリな状態のような気がする。

とりあえず今回は雑観として、いまの所感をまとめておくことにする。

今回はまともな文章にはならないだろう。(いつもまともになっている自信があるわけではないけれど……)

 

元気がない

今月はずっと「元気がない」「ちゃんとして」「元気よく!」と会社で言われまくっている。

僕個人としてはいつも通りのテンションで働いているのだが、最近声がうまく出ないので「なんて言ってるか分かんないんだよ!」って言われたり、「ちゃんと寝てから会社来てよ」と言われる。

そんなこと言われても元気がないものはないし、でも電話するときや後輩に質問された時は、頑張って絞り出して可能な限り愛想よくすることに努めているし、許して欲しい。

そう言ったら、それは君の体調管理の問題だから自分でなんとかしなさいみたいな展開になってしまい、結局「早く寝ないから元気がないのだ」ということになってしまった。

 

睡眠時間

今月は平均6〜7時間ほど寝ている。多くはないが少なくはないと思う。APEXやTwitterをするのを止めて、本を読むようにしたらいい感じに眠くなるようになったので、この方法で深夜0時とか1時に寝ることができるようになった。

ただ、これは今月に入ってからの話で、その前は5〜6時間ほどの睡眠時間だったと思う。これは短い。毎日がつまらないと早く寝るのが嫌になるのってあるよね? それで深夜2〜3時くらいに寝ていたらこれくらいの睡眠時間になっていた。

ただ、睡眠時間が短くなり過ぎていろんな弊害が出た。最終的に寝ながらオシッコをするようになってしまったので、流石にこれはヤバいと思って夜は読書をすることにしたのだ。

ちなみに大人のオネショは夜尿症と呼ぶらしい。大人になるとなんでも名前が変わる(ニキビを吹き出物と呼んだりとか)ので、大人はずるいと思う。

 

APEX(ゲーム)

ゲームは現実逃避にちょうど良かった。ただ、ゲームをしている時は現実から離れることができるが、ゲームを辞めてしまうと現実に戻ってしまうのが難点だと思う。辛いことを思い出さないためにはずっとゲームをやり続けなければならず、そのためにAPEXのようなバトロワゲーは非常に重宝した。

ただ、最近は少し自分の中でAPEX離れが進んできてしまった。多分お気に入りのVtuberが最近あんまりAPEXをやらなくなっちゃったからだと思う。というかAPEXって炎上多くね?

あとやっぱり僕がFPS下手なので、やってて辛くなってしまう。悲しいかな、僕のAPEXはシルバーランクで終わりそうである。

そんな感じで、少し前はガッツリ休日はAPEXをやっていたのだが、最近は暇な時間にちょっとだけする程度になってしまった。

あとAPEXの代わりにテトリスや壺おじのゴルフ版のゲームをやったりしている。手軽さでいえばこういうのの方が良い現実逃避になるかもしれない。

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Twitter

平日にツイートするのが億劫になってきた。どうせ仕事の愚痴しかツイートすることがないし、僕がわざわざネット上にヘイトを増やしていっても世界がいい方向に向かうわけではないし、なんかどうでも良くなってきた。

就職して1年目くらいまではツイートの内容が頭にどんどん浮かんできて、逆にツイートしておかないと頭の中で言葉が暴走し始める感覚になっていたのが、最近はカラッポだ。ツイートすることなくね?

 

エヴァ

ここのところTwitterがちょっと億劫になってきた理由の一つに、エヴァのネタバレを回避したいという気持ちが少なからずあることは明白だ。

昨日だっけ? ネタバレ解禁みたいになっちゃったのでいよいよ見に行かないとマズイと思っているのだが、そもそも僕ってそんなにエヴァ好きだったっけ? エヴァのネタバレを回避するためにエヴァ見にいくだけになってないか? このままTwitterから離れていればネタバレ回避できるし、ネット配信まで待てるんじゃね? みたいなことを考えてしまってまだ見てない。

 

多分だけど、去年の5月から髪を切ってない。自分のツイートを遡ったら自分で髪を切っている写真が5月に出てきたので多分5月だと思う。

となると、10ヶ月くらい髪を切っていないことになり、浮浪者みたいになっている。

上司からは「その頭でよく社会人として生きていられるな」と言われてしまった(これは遠回しに「死ね」と言われているのだろうか?)。まぁ、そんな頭で平気で出社したり他社も参加するWEB会議で自分を写したりしているので、上司様のキレ具合にも納得できる部分はある。

いや切れよ。と思う。自分でも思う。でも切れない。なんか切れない。なんで切れないのかわからないんだけどとにかく面倒臭い。自分で髪を切ったり、床屋に行くためのMPが足りない。

あと10ヶ月くらい切っていない髪の毛は不便なところもあるけれど、便利なところもあって、会社の人と目が合わないところが非常に良いのだ。そんな鷺沢文香みたいな理由で、結構この頭も気に入っていたりする。

 

社会人失格

「よく社会人として生きていられるな」と言われるようになってしまうほど社会人として失格基準まで落ちてきたなと思う。

まず前述したように髪を10ヶ月切っていないし、その頭で風呂に入らず出社したりする(なので、頭がギットギトになっている)。風呂に入らない理由は、風呂に入るMPが足りないからだ。

そしてスーツがボロボロになって、なんか中に入っているフェルトみたいなものがピロ〜ンって出てきちゃった。いつこうなったのか覚えていない。

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覚えていないといえば、仕事中に短期記憶というか、コンピューターでいうメモリの量がほとんど無くて要するに物忘れがひどい。いまやっている作業を忘れる。資料を作りながら「あれ? いま何の資料作ってるんだったっけ?」みたいなことになる。

よく「忘れるならメモをとれ」と言われるが、メモを取ったとしても「メモを取った」ということを忘れるし、メモをとりながら「あれ? いま何をメモするんだったっけ?」となるのでちょっと無駄かもしれない。

 

仕事

辞めたい。1ヶ月くらい旅行したい。

 

無能

自分が無能であることをアピールしても誰も認めてくれない。上司たちは、普段の業務では僕の仕事のできなさを散々指摘するのに、面談の場になると「いまは辛い時期なだけだよ」とか「仕事に対して一定の評価はしてるし、君がいないと困るよ」とかちょっと優しい言葉を投げてくる。

でもよく考えると、辛い時期がもう1年も続いてるし、一定の評価をしていると言いながら普段の僕への言葉はどんどん強くなるし、代わりが居ないなんてことは無いはずである。

「君がいないと困る」って、正しくは「君が犠牲になってくれないと他の生贄を選ばないといけないから困る」って意味ですよね?

 

病院

「元気を出せ」「ちゃんとしろ」と言われるけれど、自分ではどうすればいいか全く分からないので、これは病院とかで“元気になる薬”を貰うしかないと思っている。

先週、いよいよ心療内科に電話しようとした。そしたら運悪く昼休みが無かった。病院は僕の仕事が終わるまで空いていないし、土曜日に電話するしかなかった。

そして昨日、電話した。だが祝日なので休みだった。

 

明日

炎上しているプロジェクトがある。どうしていいか分からない。なんで毎日明日が来るんだろう?

 

ブログ書いてる。深夜0時を過ぎてしまったので寝なきゃ。

まちカドまぞくとコラボしている総合病院の夢の話

こんばんは、最近iPad買ったらプログラミング熱が復活したので買って良かったなぁと思っている魚の精巣です。

でも仕事への姿勢は相変わらず後ろ向きです、タハハ。

 

今日も夢の話です。昔話と仕事のグチ以外は夢の話しか無い。助けてくれ。

 

〜〜〜〜〜

まちカドまぞくと限定コラボしている総合病院に来た僕は受付に並ぶ長蛇のオタク列の一部になっていた。

列は二つに分けられ、僕の並ぶ列は降順、もう一つの列は昇順とのことだった。

 

コラボの内容はまちカドまぞくのパネルや原画と総合病院に入院している患者を同時に見学できるというものだった。

 

カーテンで仕切られた順序の先にオタクたちがどんどん吸い込まれていく、そろそろ自分の番が回ってくるのでドキドキした。

「つぎの方、どうぞ〜」

というスタッフの声に導かれてカーテンの奥に突入すると、シャミ子や桃といったキャラクターのでかでかとしたパネルが飾られた隣に病院のベッドがあり、そこでヨボヨボのおじいさんが寝息をたてていた。

 

順路に従って進んでいくと、病院の部屋の壁にはキャラクターたちのイラストやアニメのシーンの切り抜きが飾ってあり、その下に先程のおじいさんと同じようなお年寄りが眠っているベッドかいくつも並んでいた。たまに酸素マスクやチューブで繋がれた患者さんもいた。

 

順路に導かれるまま次の区画に進むと、同じようにまちカドまぞくのキャラクターたちのイラストと患者さんたちが出迎えてくれた。しかしこの区画の患者さんはそこまでお年を召しておらず、起きている人たちも結構いた。

 

なるほど、“降順”とはつまりこういうことか、おそらくどんどん若くなっていくのだろう。

 

正直、あまりゆっくりと鑑賞できる企画展ではなかった。来場者が多いのでもたもたしていたら渋滞になってしまう。僕はあまり面白くない動物園を進むくらいのスピードで展示を消化していった。

 

やがて新生児のベッドが並ぶ区画に着いた。おそらく最後の展示だろう。

生まれたての赤ちゃんたちの大合唱が耳をつんざく、最初の部屋とはえらい違いだと思った。

 

出口間近のところに人工保育器のようなものが置いてあり、その中にはピンク色の小さいソーセージのようなものがピョコンピョコンと元気に跳ねていた。

感覚的にそれが胎児であることを理解した僕は「患者というより人生の展示みたいだったな」と思った。

 

出口から外に出ると、“昇順”に並んでいるオタクたちがいて、僕は「昇順から入ったらまた別の見え方があるのだろうな」と思った。まちカドまぞくのことはあまり印象に残らなかった。

 

〜〜〜〜〜〜

 

 

熊本地震とガルパンSS 後編

 長くなってしまったので、前編と後編に分けました。

 

熊本地震の後に自己嫌悪になってガルパンSSを読みまくるようになった続きからです。

 

久しぶりに大学へ行く

1日中ゴロゴロしながらガルパンSSを読みふける生活が2週間ほど過ぎ、地震の発生から約2ヶ月ほど経ったころだっただろうか(時期は正確に覚えていないから間違えているかも)。

 

世の中は地震からかなり回復し、社会活動もだんだんと再開して「ボランティアしないの?」と言ってきた母親も日中は仕事に行くようになった。

 

僕も大学から声がかかった。

大学の講義が始まるのはまだ先だったが、研究室に所属していた僕は研究室の片付けや研究室棟の被害状況を先生たちと一緒に見回るように言われたのだ。

 

同じ研究室にいた友人のAにも連絡が来ていたので、僕とAは大学に集合して、自分たちの研究室の片付けを始めた。

 

自分のやるべきことがあるというのは安心した。

 

何か役割を与えられることで、人間関係の中に自分の立ち位置が定まった感覚を覚えた。

人から求められることをやることは精神を健全に保つのだろう。震災直後にボランティアを精力的に行なっていた人たちは、もしかしたらそういう心の安定を求める気持ちもあって頑張っていたのかもしれないとこの時考えた。

 

彼らと僕が違うのは、彼らには主体性があり、僕はただ受け身になっているだけであるということだった。

 

僕は地震で壊れたパソコンを片付けながらボランティアの人たちと自分の人間性の違いの考察が捗ってしまった。

 

僕は、役割を与えられたことで満たされていく自尊心を感じた。

でも“自分”という人間の器が思ったよりも小さいようだと気付いて別の自尊心がまたガリガリ削られていくのを感じていた。

 

なにガルパン読んでんだよ

おおかた自分たちの研究室を片付けたあと、僕とAと、同じように大学に呼ばれていた学生たちは2,3人の先生たちと一緒に他の研究室や設備を見回っていくことになった。

 

正直この見回りは先生たちだけで充分な作業であり、なぜ僕やAやその他の学生が一緒に見回ったのか今でも分からない。

 

ただ大学の中の状況を見ることができたのは少し安心した。

家にいる時は、大学の建物や設備はぶっ壊れていると思っていたが、大学は(多少のダメージはあったものの)無事だった。

 

先生たちと歩いていると、廊下にちょこんとバケツが置いてあり、よく見るとそれは自分の研究室の備品だった。

 

「これ、ウチのバケツですね、元の場所に戻していいですか?」と聞くと

 

「あぁ、それは学生のボランティアが君んところの研究室から拝借したんだろうね、戻してくれるとありがたい」と言われた(地震で水道が止まったので、プールからバケツに水を汲んでトイレを流していた)。

 

ハッとした。

その瞬間僕は自分が何もせずただサボっていた事をありありと実感させられてしまったのだ。

 

家でダラダラしていた時の僕は、自分が何かしようとしても邪魔になるだけだし、何もしないことが1番世のためになると自分に言い訳していた。

 

だが違ったのだ。

このバケツ1個がそれを突きつけてきた。

 

というのも……このバケツは備品室の外に放置してあったもので、備品室の中には大量にバケツが用意してあるのだ。

そして僕は備品室の鍵の場所を知っていた。

 

備品室にあるのはバケツだけではなく防寒着やカイロの備蓄もあったので、鍵があれば避難所の役に立ったはずだ。

 

なんだ、普通にあるじゃないか、役に立つ事……。

 

なんで気が付かなかったんだろう? これじゃただのサボりじゃないか、ガルパンSSなんて読んでんじゃねぇよ。

 

先生によれば、学生たちは率先して避難所の運営をしていたらしい。

 

僕は同じ大学の学生だったが、何もしていなかったし、何もしたくなかったし、サボっていたのだ。

 

忘れないだろうと思う

バケツの一件があって、僕の自尊心はボディブローのようにジワジワとダメージを受け続けていた。

 

僕とAは研究室に戻って、些細な片付けをしていたが、僕はとうとう良心の呵責に耐えきれなくなりAに懺悔してみることにした。

 

「俺さぁ、地震の後さぁ、ボランティアとか何もしてないんだよね〜……。そんでさぁ、家でさぁ、SSっていうんだけど、アニメの2次創作の小説をず〜〜っと読んでたの。ヤバイでしょwww」

みたいな感じで、笑いながら言った。

ふざけている感じを消すことができなかった。

 

Aはジャンプは読むが、僕のようなアニメオタク趣味は無かったので、そもそもSSを知らないし、いきなり言われてもよく分からなかっただろうと思う。

 

Aは僕と違って車を持っているし、根性があって辛い作業もこなすタイプだし、なんとなくしっかりしている人間だ。

 

僕は「オタクかよ」とか「お前もちゃんと働けよ(笑)」みたいな感じの言葉が返ってくる事を期待していた。

何もしていない僕を言葉で軽く小突いて欲しかった。

 

でも、Aの言葉は予想と違っていた。

 

 

僕は多分、この時のAの言葉をずっと忘れないだろう

 

 

 

 

 

 

Aは言った。

「俺はおそ松さん見てた」

 

 

 

 

「え? おそ松さん? おそ松くんじゃなくて新しい方のやつ?? え、お前そういうの見るの??」

「ん〜普段なら見ないけど、暇過ぎて見ちゃった。お前見た?」

「いや……2,3話しか見てないけど……」

「お前、おそ松さん面白いよ〜!!

 

衝撃だった。

Aはおそ松さんを見ていた。

ボランティアとかした? と聞くと「そんなのするわけないじゃん!!」と答えた。

 

Aはおそ松さんを見ていた。

僕が何もせずダラダラとガルパンSSを読んでいる間、Aも何もせずおそ松さんを見ていたのだ。

 

なんでおそ松さん? と思った。

俺がオタクじゃないお前に色々オススメのアニメとか紹介したけど「そういうのは見ないから」って拒否ってたよね? なんでおそ松さん? と思った。

 

同時に、心がどんどんどんどん軽くなっていった。

 

どんどんどんどん軽くなる! なんだこの感覚は!? さっきまでの罪悪感がウソのように消えていく!

 

そうか! 自分と同じ奴がいたからだ! だってコイツも何もしてないもん! コイツも備品室の鍵開けてないし、ボランティアしてないし、ダラダラおそ松さん見てたんだもんな!(俺はおそ松さんじゃなくてガルパンだけどな!)

 

僕はこのとき初めて、自分が今まで孤独を感じて苦しんでいたことに気付いた。 

そして「俺はおそ松さん見てた」という言葉で孤独から解放されてしまったのだ。

 

僕は孤独だったのだ。罪悪感で自分を責めて苦しんでいたのではなく、孤独で仲間が欲しくて苦しんでいた。

 

振り返ってみると、自分から人を避けて孤独を選んだクセに孤独に苦しんでいた。

そしてその事に気付かなかった。

 

多分「あなたは独りじゃないよ」と言われても救われなかったと思う。何故なら自分が苦しんでいる理由が孤独であるということを分かっていなかったから。

 

そう考えると「俺はおそ松さん見てた」は僕自身でさえも気付いていない救済方法を1発で当てに来たのだ。すごい言葉だ。

 

僕は笑った。めちゃくちゃ笑った。すごく面白かった。

 

誰が何に救われるのか

このことで、僕は自分が結構もろいらしいということが分かった。

僕は割と簡単にメンタルが崩れるらしい。

 

そしてもう一つ、人間って何に救われるのか分からないという事が分かった。

 

ボランティアや募金は確かに多くの人を救っただろう、SNSの正論も社会的意義がある人たちの行動の支えになったのかもしれない。

 

でも僕を救ってはくれなかった、むしろダメ人間の僕は苦しめられてしまった(何度も言うがそういう人たちを否定するということではない)。

 

僕を救ったのは、同じような境遇にいたダメ人間だったし、素晴らしい言葉でもなかった。

あの時「俺はおそ松さん見てた」という言葉が無ければ、自分はどうなっていたのだろう? と今でも考える。

 

最近、また地震があったし、色々な災害があった。そして今後も災害は起こるだろう。

 

災害が起こったときにボランティアをするのはとても素晴らしいことだ。

ボランティアの方々がいなければ多くの人が救われない、本当にそう思う。

 

一方で、あの時の僕のように何もしない人も出てくるだろう。

 

そういうの人は社会的にはダメな人かもしれない。でも僕は知っているので言いたい、あなたは何もしていないかもしれないが、誰も救えない訳ではないという事を言いたい。

 

誰が何に救われるのかなんて分からないのだ。

あの時、おそ松さんを見ているだけで何もしていなかったAがいただけで、僕が孤独から救われたように、あなたがそこにいるだけで救われる人がいる可能性はゼロではないのだ。

 

そういう事を僕は言いたかったからこれを書いた。

 

最後にもう一回ハッキリ言いたい。

 

僕は熊本地震のときボランティアをせずガルパンSSを読みまくっていました。

 

 

※特定を回避したかったのでかなりボカした内容にしましたが実際の出来事には変わりないです。

※時期については、正直正確に覚えていないのと、内容をボカしたせいでかなり矛盾があるかも……大目に見て下さい。

熊本地震とガルパンSS 前編

2016年4月14日に前震、4月16日の未明に本震が発生した熊本地震から約5年。

 

当時、熊本で学生として家族と共に暮らしていた僕は、おそらく人生で一生忘れないであろう出来事、光景、言葉をいくつか体験した。

 

今日はそのひとつについて、拙いながらも文章にしていきたい。というのも最近また地震があって、色々思い出すことがあったからである。

こういう災害があったときは嫌でも暗い気持ちになってしまい、自分のやるべきことや、やってはいけない事に悩んだりする。僕はそういう時にあの日々を思い出すのだ。

あぁそういえばあの時も何もしなかったなって思い出す。今回はそのことについての駄文である。

 

2回目の地震発生〜半月くらいまで 

4月16日の本震の時、僕ら家族は逃げるように一番近くの小学校に避難し、そのまま一夜を過ごした。

前震の時は余裕ぶっこいていた両親はこの本震のときは冷静さを失っており、大声を出したりネット上のデマに踊らされたりしていたのだが、僕の方はあまり事態を深刻に捉えることはしておらず、LINEで友人達と連絡を取ったり、ネットで情報収集したりしていた。

 

避難所でもまぁ色々なことがあったのだが、今回は割愛。

(避難所で替え歌を作ってツイートしたら知り合いからキレられる、深夜に年寄り同士がケンカし始める、余震が多過ぎて緊急地震速報早切り選手権が起きる、被災者とボランティアの境目が無くなる……等々)

 

その後僕ら家族は最初の数日を避難所で過ごし、その後、昼は避難所、夜は自宅で過ごす生活に切り替えた。

そして半月ほどでインフラがある程度回復した後は祖父母の家で一家全員まとまって過ごすことになった。

 

ある程度インフラが回復してくると、被災の雰囲気はかなり薄れてきていた。でも、まだ仕事や学校といった社会活動は再開されなかったので、半日常状態となっていた。

いまで言えば緊急事態宣言下のような雰囲気が近かったかもしれない。コロナと違うのは地域差(被害が大きかったところはインフラや食糧が充分ではない状況が続いていた)があったことと、人同士が密になって直接的に助け合っていたことだ。

 

半日常を取り戻した熊本では、連日テレビやネットでボランティアの活躍が報じられていた。

  • タレントの〇〇さんが炊き出しに訪れました。
  • くまモンが被災地を訪問しました。
  • 海外が募金を実施。
  • 県外からのボランティアが自費で被災地に物資を提供。
  • 全国からの救援物資が届いています。

 

TwitterFacebookを覗くと知り合いの近況が覗けた。その中にもボランティア活動をしている人が結構いたのは衝撃だった。

  • 故郷熊本のために東京で募金活動を実施しています!
  • みんなで車を出して物資供給の手伝いをしてきました!
  • 今日は炊き出しの手伝いをしてきました。

 

ボランティアとしてすぐに動くことができる人たちは本当に凄いと思った。

特にSNSで知り合いが自分よりも状況が悪い人のために精力的に動いていることが衝撃だった。今までボランティアはタレントや専門的に活動している人たちが行うものという認識があったが、同じく被災しているはずの地元の知り合いも自分にできることをやっていたのだ。

 

ゴロゴロするだけの怠け者だった

そして僕は……何もしていなかった。

 

言い訳としてはこうである。

まず、車を持っていない。車を持っていないと被災地に行けないのであまり役に立たないと思っていた。

 次にお金を持っていない。アルバイトすらしていない学生にお金の余裕など無い。よって募金的なこともできないし、しなくて良いと思っていた。

そして精神的に絶好調というわけではなかった。どういうわけか、この頃の僕は人と距離を取るようにしていた。祖父母の家にまとまって家族が暮らしていたので、リビングに2世代家族が揃うのだが、僕はその空間がなんとなく嫌だったので、一人だけ畳の仏間に寝転がって過ごした。

 

そういうわけで、車もお金も無いし、あまり人と関わりたくなかったので、僕はずっとゴロゴロと過ごしていた。自分と同じ境遇、あるいはもっと酷い目に遭っている人たちが一生懸命助け合っている中、畳にゴロゴロ転がってネットを眺めていた。

 

そんな感じで数日過ごす僕を見て、母親は「あんたはボランティアとかしないでいいの?」と言ってきた。

仕事が始まらない間、母親もテレビやネットでボランティアの活躍を見聞きしていたのだろう。正直、そういうことはまず自分がやってから言えよと思った。

 

畳にゴロゴロと転がってネットを見ていると、上述したように、色々な人が頑張っている姿を見ることになった。同時に、役に立たない人間に対する意見も増えてきていた。

 

  • 何も行動せずネット論客となるだけの若者に対する意見
  • 自粛ムードの呼びかけ、あるいは逆に自粛不要の呼びかけ
  • ボランティアをしない学生への批判
  • ボランティアを行っているが、うまく運用できていない学生への批判

 

特に気になったのは「いまボランティア活動等を積極的に行うことは人生にとって良い経験になる」とか「私だったら就活で災害ボランティアを頑張っている学生を積極的に採用したい」みたいな意見である。

そういう人たちのプロフィールを覗くと、東京都在住とか、企業名とか、年収とか、なんだか偉そうな肩書きとかが書いてあったことを強烈に覚えている。

 

ボランティアや募金活動に奮闘する人たちは本当にすごいと思う。これは本当に心の底からそう思う。だって自分はできなかったから。

でもその当時はその“すごい人達“のラインが引き上げられているような気がした。「若いんだからボランティアして当たり前」のような雰囲気がまとめられていっていた。

 

僕がネットで観測した限り、間接的な援助ではない直接的なボランティア活動(避難所の運営や炊き出しなど)を行なっていたのは、ほとんどが同じ県内の若者だったように思う。

余震が続く中で県外から来て泊まるところも限られている状況だったので、県内の労働力がほとんどになるのは当然っちゃ当然である。

 

同じ県内の人間であれば、程度の差こそあれみんな被災しているのである。そんな人たちに対してボランティアのラインを“当たり前“まで引き上げるのは正しいことだろうか? その上なんで就活の話まで出すの? そんな話は今誰も聞きたくねぇんだよ! と畳にゴロゴロしながら激しく思った。

 

そんな風にネットの情報を吸収していきながら、僕はどんどん卑屈になっていったように思う。自分は何も行動を起こせない役に立たない人間なのだ。自分の知り合いや大学の後輩がボランティアをしている間、畳でゴロゴロしているだけだ。母親にまで「あんたは何もしていない」と言われる始末だ。

 

この自己嫌悪を慰めるためには社会の役に立つことをすればいいんじゃないかと考えたこともあったが、この時の精神状態ではどうにもやる気が起きなかった。

自分みたいな車も運転できないしお金も無いし人とも関わりたくない人間がいまさら役に立とうとしたところで一体なんの役に立つのか。むしろ自分みたいな人間が社会に関わらないことが最も社会のリソースを無駄にしない最適解なのではないか? などと考えていた。そしてさらにそんなことしか考えない自分が嫌いになっていくのだ。

そんな風に僕は自分の自己嫌悪を抑えられずに苦しんでいた。しかし、はたから見る限り、僕は仏間の畳でゴロゴロしてスマホをいじる怠け者以外の何者でもなかった。

 

ガルパンを見ていないのにガルパンSSにはまる

ネット上で連日繰り広げられるボランティアや募金活動への賞賛と、何もしない人間に対する意見を受け止めることに耐えられなくなった僕は逃げた。

SNSやネットニュースを見ないようにしたのだ。情報を遮断することで自分を守ることにした。現実逃避である。

 

そうして僕はネット上のマンガを読んだり、神絵師のアカウントを巡回するようになった(やはり仏間の畳でゴロゴロするのは変わりなかった)。

そしてある日、ガルパンSSにたどり着いたのだ。

 

オタク諸氏ならご存知かと思うが、ガルパンとはガールズ&パンツァーというアニメの愛称である。そしてここでいうSS(ショートショート)は5chに投稿された主に会話形式で構成される短編小説のことで、つまりガルパンSSとはガールズ&パンツァーのキャラクターたちの会話を使って作られた2次創作である。(説明終わり)

 

これにハマった。

朝から晩までずっとガルパンSSのまとめサイトを巡回していた。

 

ちなみにガルパンは一話も見たことなかった(実は今も見たことない、ゴメンナサイ)。

 

ちなみにガルパンだけではなく、アイマスラブライブ!まどマギストライクウィッチーズのSSもこれでもか! というほど読んだが、ガルパンのSSはそれらと遜色ないくらいクオリティが高い作品が多く、しかもアニメを見ていないのに面白いものが多かったので一番ハマっていった(逆にアニメを見ていなかったことで新鮮に感じて良かったのだろう)。

 

しかも主人公の西住みほの出身地が熊本ということで、ちょうど熊本ガンバレ! みたいなキャンペーンもガルパンを通じて行われていた。

そのため僕は、なぜかガルパンSSを読むことでガルパン人気に貢献し、ひいては熊本の応援をしている気持ちになっていたのである。いま考えると意味不明だが、当時はそんなことにまで意味を見出そうとしていた。

 

そして僕は最終的にアニメを一話も見ていないのに全話だいたい把握しているし、映画の内容も全て知っているまでになった。

 

ちなみに好きなカップリングはまほちょびです。

 

好きな作品が生まれると、今度はその作品の別形式の2次創作を探してネットを巡回することができる。具体的にいうとガルパンSSにハマったあとはTwitterやpixivでガルパンのマンガやイラストを探す作業に没頭できるのだ。

この好循環によって、自己嫌悪に陥っていた状態から僕はあっという間にガルパン最高!」「ガルパンはいいぞとか一人で言っているただのガルパンおじさんになっていた。

そして相変わらず畳の上でゴロゴロしていた。

 

つづく