毎年初夢のブログを書いているのだが、今年はなんだか気持ちが入って延び延びになってしまった。
しかし継続は力なりということで、今年も気持ちが入らないなりに、あまり味気のなくなってしまった初夢の話をなんとか書こうと思う。
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ノートPCが鳴る。
そのアラームを止めようと色々な画面操作をしてみるが、全く止まらない。
仕事をしている(という認識である)のだが、会社にはいない。どこか知らない部屋で机に向かっている。
というか、机と椅子しかこの世界にはないのかもしれない。僕の認識は部屋ではなく、ノートPCに向いているので、夢の世界での僕は部屋を認識していないのだ。
現実世界であればまだしも、夢の世界で僕が認識していないということは存在しないも同然かもしれない。だがとにかく、机と椅子とノートPCは存在している。
どうしてもアラームが鳴り止まなくて僕はイライラしていたのだが、ある瞬間、唐突に鳴り止む。
僕はアラームが止まったことが、僕の何らかの操作による結果だと思い込んで、満足し、横になる。布団と枕がいつの間にか出現していて、その上で横になる。机と椅子は消える。夢にありがちなご都合主義的物理法則だ。
一拍置いてリラックスしていると、枕元に置いていたノートPCがまたしても景気よく鳴り響く。僕は飛び起きる。
またガチャガチャとノートPCを操作するが、今度もなかなか鳴り止まない。
しまいに僕はノートPCをバタンと閉める。これで止まるだろう……と思いきや鳴り止まない。
一体全体どういう原理でこいつは鳴っているんだろうか? 夢の中の僕は冷静ではなく、もう激しく憤っている。自分の思い通りにモノが動かないという時のイライラは僕は激しいのだ。
とうとう僕は閉じた状態のノートPCを両手で持ち、上へ掲げ、勢いよく振り下ろすと同時に自分の右膝をノートPCの底面に下から叩き込む。
うるさいノートPCを物理的に破壊して止めようとする。
僕の力ではノートPCを両断するには至らなかったが、一応バキッと何かが中で壊れてくれたような気持ちの良いものではない音をノートPCが出す。
しかしやはりアラームは鳴り続ける。
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ここで起きた。
枕元でスマホのアラームが鳴っていた。その音は夢の中で聴いたノートPCのアラーム音と全く同じだった。
僕はスマホを持って膝蹴りを……せず、非常に慣れた手つきでアラームを止めた。
その日は朝早く起きて実家に帰省する予定があったので、正月休みだけれどアラームをかけていたのだった。
現実で聞いている音が夢の中に入ってくるという現象は結構ある。ただ、初夢でスマホのアラーム音が入ってくるというのは実はレアかもしれない。
正月早々にアラームをかける機会というのはあまり無い気がする。
ところで、スマホのアラーム音を現実で聞いていたのに、どうして夢の中ではノートPCの音になるのだろう?
スマホのアラーム音は平日だったらほぼ毎日聞いているから、その経験が夢に反映されて、スマホのアラームが鳴る夢を見てもいいはずである。
しかし、実際はノートPCが鳴る夢だった。夢と現実にギャップが生まれてしまった。
人間は外部情報の8割から9割(正確な数字は忘れちゃったけれど、まぁこれくらいだろう)を視覚に頼っているという話は聞くが、本当にその通りで、夢の中という視覚の外部情報が閉ざされている世界で聴覚の外部情報を得たときに、夢の世界の中に具現化するものがちょっと間違ってしまうというのはその証拠の一例な気がした。
いや、それとも、これは人によって違うのかもしれない。
最近本で読んだのだが、視覚優位な人と聴覚優位な人、という区別があるらしく、文章じゃないと内容を理解しづらい人と話言葉じゃないと理解しづらい人というのがいるらしい。
僕はどちらかというと視覚優位な人だと思う。仕事の指示は口頭で説明されるとあまり理解できなくて、文章にしてもらわないと失敗する確率が上がる。
だから僕は基本的にめちゃくちゃメモを書く人なのだが、そういうわけで視覚優位だと思う。
もしかしたら僕と違う聴覚優位な人は夢の中の再現率が高いのかもしれない。そんなふうに思った。
以上、初夢でした。