魚の感想

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福岡市総合図書館に月一で「群像」を読みにいってる

好きな作家に保坂和志という作家がいて、少し哲学的な猫の小説とかエッセイみたいな小説(小説という体で書かれているけれど、これは小説じゃなくてエッセイだろと思わずにいられない小説)をよく書く人なんだけれども、この作家が「群像」という文芸雑誌で連載をしている。タイトルは「鉄の胡蝶は歳月は夢に記憶に彫るか」という。

これが難解な文章で、難解というと難しい言葉や漢字が使われているのかというとそんなことではなく、その時々の自分の考えや頭の中を整理せずにそのまま出力された文章、という感じなのだ。

 

僕は、流石にこの「鉄の胡蝶は〜」は小説とは呼べないだろう、エッセイだろうこれは、いや、エッセイでもないのか? と思っている。

少なくとも小説ではないはず……でもこの人の「あさつゆ通信」という子供時代の思い出を現在の自分がうろ覚えで書き出していく連載(今は文庫化されていて僕はそれを持っている)(積読している)も、ジャンルは小説らしい、もう分からんな……。

というか「鉄の胡蝶は歳月は夢に記憶に彫るか」ってタイトルの意味もよく分からん。タイトルからして“てにをは”が狂っている。つまりそういう文章を書く作家なのだ。

 

兎にも角にも、そういう“文章”が毎月「群像」で読める。

保坂和志という作家は自分の実体験をベースにした作品が多いので、僕は作家の最新の文章が読みたくて、今年の夏くらいから「群像」を毎月読んでいる。

「群像」を毎月読んでいると書いたが、これはウソで、ぶ厚い「群像」を毎月全て読む能力など当然僕には無い。ジャンプくらいぶ厚いのだ。

読んでいるのは保坂和志の「鉄の胡蝶は〜」と、岩内章太郎の「星になっても」くらいで、あとは気になったやつをナナメ読みしている。

だから「群像を毎月読んでいる」と書くと語弊があるというかウソになる。

 

「群像」は1500円くらいする。毎月全部読むなら割安だが、2つしか読まないなら正直高い。あとぶ厚いので家に置いておくのが辛い。ジャンプくらいぶ厚いんだってば。

というわけで毎月「群像」を買うのはちょっと金も家のスペースも勿体ないな、という乞食根性が働いてしまっている。かといって立ち読みできるほど保坂和志の連載は気楽に読めるものではないので、どこかでタダで読めねぇかなぁと色々調べた結果、月一で福岡市総合図書館に通うことにした。

偉い人は買わないことに対して怒っておいででしょうね。ゴメン。

 

福岡市総合図書館は確実に福岡市で1番大きい図書館であり、福岡県でも1番大きいんじゃないかと僕は考えているんだけれど、それは調べていないので分からない。でも本当にそれくらいデカい。

なにせ国連の資料とか、国会の議事録が手に取れるところの本棚に収まっているし、とにかく見たことのない本が沢山あるのだ。そんな本棚を一つひとつ見ていくと疲れる。単純な歩く面積が広いのもあるが、大量の本、というか大量の本の背表紙から想像できる空間内の情報量の多さにめまいがしてくる。

そして迷子になる。

 

目的もなくただ本棚の洞窟をウロウロしていると不安になるのだ。

大型書店も同じくらい大量の本があって歩き疲れたりするが、書店は目的なくフラッとやってきた人に対しても購買意欲をかき立てるために本の見せ方を工夫して本を選ばせようとしてくる。オススメの本を平積みしたり、出版社のフェアコーナーを作ったりしてだ。

だが図書館では資本主義的な本たちの競争は起こらない(なんせ僕みたいな本をタダ読みしようとしている人が来ているのだから)。なので、本たちが媚びてこないのである。

だから何を読むか考えずにウロウロすると迷う、本が大量にあるのに読みたい本が一つもない、何を読めばいいか分からなくて悲しい感じになる。

 

僕は悲しい感じの人にならないように、図書館(特に福岡市総合図書館)に行くときは何を読むか決めてから行くようにしている。「群像」をまずは読もう、時間があればアレを見つけて読もう、といった具合に。

 

ところで福岡市総合図書館は福岡タワーのふもとにある。福岡タワーはPayPayドームの少し先にある。他に福岡タワーのふもとにあるのは百道浜(ももちはま)というビーチや博物館だ。

僕は図書館に行くときは福岡タワーの目の前を通るが、福岡タワーには登ったことが一度もない。福岡タワーからしてみれば

「お前今日も俺を無視してそっち行くんや?」

って感じだろう。

なんとなく気まずいから、今度余裕があったら登っておきたいと思っている。

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