魚の感想

twitterの外付けの感想置き場として使っています。

2021年に読んだ本で感想書けるやつ書く

年末ということで年末っぽいブログをめちゃくちゃ書きたくなった僕は今年読んだ小説の感想をまとめることにした。

2021年には読んでいないものは省いたつもりだけど、2020年に読んだやつとかあったらごめん(記録とか付けてないからちゃんと覚えてない)。あと本自体は積読がかなりあるので、そういう途中のものは省いた。

 

自生の夢

短編集。短編集だけれども、「Cassy」という自分の考えていることや、状況や、感情を、AIが自動的に最適な言語化を行ってサーバに保存したりネットワーク上に公開できるインテリジェンスツール(つまり、めちゃくちゃ性能の良いAIでやるSNSみたいなもの)が巻き起こす騒動がメインに描かれている。

このCassyによって生み出された文章の化け物がクジラの形で現れるので、僕は読みながら勝手に「これ絶対ツイッターの暗喩じゃん!」と思っていたのだけれども、巻末の解説を読んだら全然そんなことは無かった。恥ずい。

ストーリーの主軸のモチーフは外したものの、分かりやすいモチーフとして「2001年宇宙の旅」や「羊たちの沈黙」があったり、ストーリーの一部がGoogleの書籍をスキャンして電子データ化するプロジェクトにインスパイアされていることが分かったりして、元ネタを少しでも知っていると楽しい。作家って色々な現実の物からインスパイアされて話を考えるんだな、という発見にもなった。

 

こうしてあなたたちは時間戦争に負ける

過去改変戦争を行っている2つの文明の工作員である、レッドとブルーという2人の女性が、お互い敵同士にもかかわらず文通を始めてしまうというストーリー。最初から最後のちょっと前まで、展開が「レッドの過去改変工作」+「ブルーから手紙が届く」+「ブルーからの手紙の内容」。次は「ブルーの過去改変工作」+「レッドから手紙が届く」+「レッドからの手紙の内容」という展開でず〜〜っと続く。

手紙の届けられ方が未来の科学技術を総動員したアクロバティックな方法ばかり(しかもどんどん過激になっていく)なので、そこは面白いが、全編にわたってポエムのような文章がずっと続くので、かなり読むのがキツかった記憶がある1作。

なぜこんなに疲れるんだ……? と思いましたが、それはこの作品を楽しむためには手紙の内容や細かい描写についての背景知識が必要であり、それは欧米の文学作品、詩、世界史の知識、欧米文化の知識など、いろんな教養が必要であること。そして、濃厚なSF的情景描写に耐えられる想像力が必要であって、つまり僕にはまだ早かったというのが結論でした。

あと百合SFでした。百合とSFは相性が良い。

 

渚にて

世界中が核の放射能に汚染されて、最後に残されたオーストラリア大陸にも風に乗って放射能が来ることが分かっており、人類滅亡まで残り数ヶ月という話。

悲しい……とにかく悲しい……。なんでこんな悲しい話を生み出したんだこの野郎という感じ。近い将来みんな死ぬということは分かっているのに全員今の暮らしを良くしようとしたり、恋愛したり、子供の将来のことを考えたりする。そして当初からの予想通りみんな死ぬ(みんな死にます)。

印象に残ったのは、バーかどこかで貯蔵されている高級ワインを終末までに飲み干そうとする老人集団がいて、毎日呑んだくれているのだが、結果的にアルコールの作用で放射線に汚染されるのが少し遅れて長生きすることになったことだ(でも死ぬんだけど)。これを読んだので、僕も同じ状況になったら将来のことなんか一切考えずに呑んだくれて終末まで過ごそうと思った。

 

ハイペリオン(上・下)

惑星ハイペリオンの巡礼者に選ばれた見ず知らずの7人が、宇宙戦争の戦火がすぐそこまで迫りつつあるハイペリオンを冒険してシュライクという化け物と対決しにいくという話。

濃厚なSF的情景描写で読者をブン殴ってくる。冒頭の2段落を読んだだけでこれはヤベェやつだなと思い知らされる。その情景描写に脳を追いつかせるためにかなりのカロリーを消費する。これは何かの戦いなのか? とにかく脳のSFの部分が鍛えられるのを感じた。

試しに、その冒頭2段落を引用しちゃおう

 

 漆黒の宇宙船のバルコニーで、年代ものだが手入れの行きとどいたスタインウェイのまえにすわり、連邦(ヘゲモニー)の“領事”はラフマニノフの『前奏曲嬰ハ短調』を演奏していた。

 バルコニーからは沼沢地が一望のもとに見わたせる。その沼沢地をさかんに吼えたてながら駆けていくのは緑色の巨竜の群れだ。北のほうからは雷雨の前線が迫りつつある。巨大な裸子植物の森は蒼黒い雲の下に黒々と沈み、荒ぶる天に伸びあがる層積雲は高さ九キロメートルにも達しようか。地平線上のあちこちに閃く雷光のさざなみ。船にほどちかいところでは、ときおり巨竜のぼんやりした影が遮蔽フィールドにつっこみギャーッと悲鳴をあげては、あたふたと藍色の闇のなかへ逃げこんでいく。

開幕これである。急に竜が出てくる。

 

しかも「ハイペリオン」はメインの“巡礼”パートの話のみではなく、巡礼者一人一人が自分の過去を話していく劇中劇も含んだ構成をしており、その一人一人の過去がやたら濃い。2人目の話を読んだくらいで「これが後いくつもあるのかよ」とびっくりする。この作品の主人公は“領事”なのだが、それぞれの過去の話を読むと「お前が主人公じゃないのかよ!」と思ってしまう。それぐらい1つの話が濃いのだ。

そして1番びっくりしたのが、この作品が三部作の第一部でしかないということだ。すごく中途半端なところで終わるので不思議だったのだが、巻末の解説を読んで初めて知った。これだけ長く読んだのにまだ3分の1だったのかよ! となった。いつ僕は読み終わるのだろう。

 

 

 

三体(2部・3部)

第一部は去年読んだので、今年は第二部と第三部を読んだ。三体、めちゃめちゃ面白い。去年は「星を継ぐもの」がすごく面白かったのだが、それと同じかそれ以上に面白い。

第二部は展開がなろう系主人公っぽい(こう書くとあんまり面白そうじゃない感じになっちゃうが)SF推理もの、かつ恋愛もので、全編通してテンポ良く展開がどんどん先に進んでいって気持ちがいい。そして最後もとても爽快に終わる。

第三部は一言でいうと「人類やらかし祭り」といった感じで、とにかく人類が悪手を打ちまくって宇宙がやばくなる。とうとう行き着くところまでいってしまった展開にハラハラして楽しい。ラストも希望のある感じで余韻が残る良い感じだった。あと、ほんのり百合っぽい(これは僕の邪推が大きいかもしれない)。

 

 

 

 

この人の閾

プレーンソングという作品を読んで、保坂和志作品が好きになってしまい、芥川賞を取った「この人の閾」をAmazonで注文した。この本は表題作の「この人の閾」と共に何作か短編が入っている。その中の「東京画」という作品で、老人がなぜ気持ち良さそうじゃないところでも毎日夕涼みをするのかについての理由をだいたい2ページにわたって洞察し続けるところが気に入っている。保坂和志の作品は事件らしい事件が何も起きないし、そこを追求することになんの意味も無さそうなくだらないことを主人公がひたすらに考察していく不思議な話が多い。

表題の「この人の閾」も、久しぶりに会うことになった人妻の同級生の家へ旦那が留守の間にお招きされる。というまるで昼ドラにありそうないかがわしい展開が待っていそうな導入なのだが、保坂和志作品ではそんなことにはならない。働くことへの考え方とか、本の読み方とか、そういうことを人妻と主人公がダラダラ喋っている間に人妻の息子が帰ってきて、そのままサッカーの話を息子がし初めて、いい感じの時間になったので主人公は帰る。

そんな感じで何も起きない。だけど人物たちの会話の中に、哲学的とも言える深い日常への洞察が含まれている。そんな不思議な作品が保坂和志作品で、僕は好き。

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モモ

ある町にやってきた浮浪児の女の子「モモ」が人間の時間を盗み出す灰色の男たちから友達の時間を救い出すという話。

働きすぎることへの警鐘を鳴らす寓話になっていて、教訓的な示唆とおとぎ話的なファンタジーがうまく混合されている感じがしました。僕みたいにいつも「労働はクソ」とか言ってる人には“働きすぎることへの警鐘”が勝手にハマって「そうだそうだ!」となりながら読めるかもしれません。僕は読んでました。これを会社の昼休みに読んでました。

好きな部分を引用します。

モモはぼうぜんとマイスター・ホラを見つめてひくい声でききました。

「それはどういう病気なの?」

「はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、なにもする気がしなくなってしまう。なにについても関心がなくなり、なにをしてもおもしろくない。この無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。日ごとに、週をかさねるごとに、ひどくなる。気分はますますゆううつになり、心のなかはますますからっぽになり、じぶんにたいしても、世のなかにたいしても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色でどうでもよくなり、世のなかはすっかりとおのいてしまって、じぶんとはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。そうなると心のなかはひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気はなおる見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。そう、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。」

 モモのからだを悪寒がはしりました。

この精神疾患の描写の細かさよ、これを児童文学でやるのかよ。

モモが発刊されたのが1973年、日本で出版されたのが1976年。厚生労働省のサイトでは、日本のうつ病等の気分障害の総患者数は1996年に43.3万人だったものが2008年には104.1万人と12年間で2.4倍に増えているとのことらしい*1。つまり我々は「モモ」でミヒャエル・エンデが警鐘を鳴らした世界に順調になって行っているというわけで、そういう風に考えるとニヒルな気持ちになれるわけです。寓話って面白ッ!

ちなみに「モモ」の文庫版が日本で出版されたのがうつ病患者が増加していった2005年。なので、日本の現状的にもこのストーリーがハマる部分があったので、日本で売れているのかも……そういう妄想もできますね。

 

 

李白 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典

今なら漢詩を楽しめる感性が身に付いているんじゃないかと思って買った1冊。なぜ李白にしたのかというと、国語の授業で習った「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」という詩が何か好きで、印象に残っていたからである。

この本を読んで1番かっこよかった詩は「月下独酌」(既にタイトルからかっこいい)という作品で、独りで酒を飲んでいる時でも、盃を掲げて月を酒宴に招けば、自分と月と月に照らされた自分の影を合わせて、3人で飲める。という目から鱗ライフハックかましてきて滅茶苦茶かっこいい。

 

 

というわけで、2021年に読んだ本の感想でした。

実はビジネス書とかも読んだので、その感想を入れても良かったんですけれどもあんまり面白いものになりそうになかったし、疲れてきたのでやめておきます。

 

そして、2022年分の読書感想文も既にできてしまうほど積読が溜まっている……来年もボチボチ書いていけたらいいなぁ。

 

ということで2021年のブログはこれで締めくくりたいと思います。これからも暇だったらご一読いただければ幸いです。

それでは、良いお年を!!

*1:出典:自殺・うつ病等対策プロジェクトチームとりまとめについて(https://www.mhlw.go.jp/seisaku/2010/07/03.html