2016年4月14日に前震、4月16日の未明に本震が発生した熊本地震から約5年。
当時、熊本で学生として家族と共に暮らしていた僕は、おそらく人生で一生忘れないであろう出来事、光景、言葉をいくつか体験した。
今日はそのひとつについて、拙いながらも文章にしていきたい。というのも最近また地震があって、色々思い出すことがあったからである。
こういう災害があったときは嫌でも暗い気持ちになってしまい、自分のやるべきことや、やってはいけない事に悩んだりする。僕はそういう時にあの日々を思い出すのだ。
あぁそういえばあの時も何もしなかったなって思い出す。今回はそのことについての駄文である。
2回目の地震発生〜半月くらいまで
4月16日の本震の時、僕ら家族は逃げるように一番近くの小学校に避難し、そのまま一夜を過ごした。
前震の時は余裕ぶっこいていた両親はこの本震のときは冷静さを失っており、大声を出したりネット上のデマに踊らされたりしていたのだが、僕の方はあまり事態を深刻に捉えることはしておらず、LINEで友人達と連絡を取ったり、ネットで情報収集したりしていた。
避難所でもまぁ色々なことがあったのだが、今回は割愛。
(避難所で替え歌を作ってツイートしたら知り合いからキレられる、深夜に年寄り同士がケンカし始める、余震が多過ぎて緊急地震速報早切り選手権が起きる、被災者とボランティアの境目が無くなる……等々)
その後僕ら家族は最初の数日を避難所で過ごし、その後、昼は避難所、夜は自宅で過ごす生活に切り替えた。
そして半月ほどでインフラがある程度回復した後は祖父母の家で一家全員まとまって過ごすことになった。
ある程度インフラが回復してくると、被災の雰囲気はかなり薄れてきていた。でも、まだ仕事や学校といった社会活動は再開されなかったので、半日常状態となっていた。
いまで言えば緊急事態宣言下のような雰囲気が近かったかもしれない。コロナと違うのは地域差(被害が大きかったところはインフラや食糧が充分ではない状況が続いていた)があったことと、人同士が密になって直接的に助け合っていたことだ。
半日常を取り戻した熊本では、連日テレビやネットでボランティアの活躍が報じられていた。
- タレントの〇〇さんが炊き出しに訪れました。
- くまモンが被災地を訪問しました。
- 海外が募金を実施。
- 県外からのボランティアが自費で被災地に物資を提供。
- 全国からの救援物資が届いています。
TwitterやFacebookを覗くと知り合いの近況が覗けた。その中にもボランティア活動をしている人が結構いたのは衝撃だった。
- 故郷熊本のために東京で募金活動を実施しています!
- みんなで車を出して物資供給の手伝いをしてきました!
- 今日は炊き出しの手伝いをしてきました。
ボランティアとしてすぐに動くことができる人たちは本当に凄いと思った。
特にSNSで知り合いが自分よりも状況が悪い人のために精力的に動いていることが衝撃だった。今までボランティアはタレントや専門的に活動している人たちが行うものという認識があったが、同じく被災しているはずの地元の知り合いも自分にできることをやっていたのだ。
ゴロゴロするだけの怠け者だった
そして僕は……何もしていなかった。
言い訳としてはこうである。
まず、車を持っていない。車を持っていないと被災地に行けないのであまり役に立たないと思っていた。
次にお金を持っていない。アルバイトすらしていない学生にお金の余裕など無い。よって募金的なこともできないし、しなくて良いと思っていた。
そして精神的に絶好調というわけではなかった。どういうわけか、この頃の僕は人と距離を取るようにしていた。祖父母の家にまとまって家族が暮らしていたので、リビングに2世代家族が揃うのだが、僕はその空間がなんとなく嫌だったので、一人だけ畳の仏間に寝転がって過ごした。
そういうわけで、車もお金も無いし、あまり人と関わりたくなかったので、僕はずっとゴロゴロと過ごしていた。自分と同じ境遇、あるいはもっと酷い目に遭っている人たちが一生懸命助け合っている中、畳にゴロゴロ転がってネットを眺めていた。
そんな感じで数日過ごす僕を見て、母親は「あんたはボランティアとかしないでいいの?」と言ってきた。
仕事が始まらない間、母親もテレビやネットでボランティアの活躍を見聞きしていたのだろう。正直、そういうことはまず自分がやってから言えよと思った。
畳にゴロゴロと転がってネットを見ていると、上述したように、色々な人が頑張っている姿を見ることになった。同時に、役に立たない人間に対する意見も増えてきていた。
- 何も行動せずネット論客となるだけの若者に対する意見
- 自粛ムードの呼びかけ、あるいは逆に自粛不要の呼びかけ
- ボランティアをしない学生への批判
- ボランティアを行っているが、うまく運用できていない学生への批判
特に気になったのは「いまボランティア活動等を積極的に行うことは人生にとって良い経験になる」とか「私だったら就活で災害ボランティアを頑張っている学生を積極的に採用したい」みたいな意見である。
そういう人たちのプロフィールを覗くと、東京都在住とか、企業名とか、年収とか、なんだか偉そうな肩書きとかが書いてあったことを強烈に覚えている。
ボランティアや募金活動に奮闘する人たちは本当にすごいと思う。これは本当に心の底からそう思う。だって自分はできなかったから。
でもその当時はその“すごい人達“のラインが引き上げられているような気がした。「若いんだからボランティアして当たり前」のような雰囲気がまとめられていっていた。
僕がネットで観測した限り、間接的な援助ではない直接的なボランティア活動(避難所の運営や炊き出しなど)を行なっていたのは、ほとんどが同じ県内の若者だったように思う。
余震が続く中で県外から来て泊まるところも限られている状況だったので、県内の労働力がほとんどになるのは当然っちゃ当然である。
同じ県内の人間であれば、程度の差こそあれみんな被災しているのである。そんな人たちに対してボランティアのラインを“当たり前“まで引き上げるのは正しいことだろうか? その上なんで就活の話まで出すの? そんな話は今誰も聞きたくねぇんだよ! と畳にゴロゴロしながら激しく思った。
そんな風にネットの情報を吸収していきながら、僕はどんどん卑屈になっていったように思う。自分は何も行動を起こせない役に立たない人間なのだ。自分の知り合いや大学の後輩がボランティアをしている間、畳でゴロゴロしているだけだ。母親にまで「あんたは何もしていない」と言われる始末だ。
この自己嫌悪を慰めるためには社会の役に立つことをすればいいんじゃないかと考えたこともあったが、この時の精神状態ではどうにもやる気が起きなかった。
自分みたいな車も運転できないしお金も無いし人とも関わりたくない人間がいまさら役に立とうとしたところで一体なんの役に立つのか。むしろ自分みたいな人間が社会に関わらないことが最も社会のリソースを無駄にしない最適解なのではないか? などと考えていた。そしてさらにそんなことしか考えない自分が嫌いになっていくのだ。
そんな風に僕は自分の自己嫌悪を抑えられずに苦しんでいた。しかし、はたから見る限り、僕は仏間の畳でゴロゴロしてスマホをいじる怠け者以外の何者でもなかった。
ガルパンを見ていないのにガルパンSSにはまる
ネット上で連日繰り広げられるボランティアや募金活動への賞賛と、何もしない人間に対する意見を受け止めることに耐えられなくなった僕は逃げた。
SNSやネットニュースを見ないようにしたのだ。情報を遮断することで自分を守ることにした。現実逃避である。
そうして僕はネット上のマンガを読んだり、神絵師のアカウントを巡回するようになった(やはり仏間の畳でゴロゴロするのは変わりなかった)。
そしてある日、ガルパンSSにたどり着いたのだ。
オタク諸氏ならご存知かと思うが、ガルパンとはガールズ&パンツァーというアニメの愛称である。そしてここでいうSS(ショートショート)は5chに投稿された主に会話形式で構成される短編小説のことで、つまりガルパンSSとはガールズ&パンツァーのキャラクターたちの会話を使って作られた2次創作である。(説明終わり)
これにハマった。
朝から晩までずっとガルパンSSのまとめサイトを巡回していた。
ちなみにガルパンは一話も見たことなかった(実は今も見たことない、ゴメンナサイ)。
ちなみにガルパンだけではなく、アイマスやラブライブ!やまどマギやストライクウィッチーズのSSもこれでもか! というほど読んだが、ガルパンのSSはそれらと遜色ないくらいクオリティが高い作品が多く、しかもアニメを見ていないのに面白いものが多かったので一番ハマっていった(逆にアニメを見ていなかったことで新鮮に感じて良かったのだろう)。
しかも主人公の西住みほの出身地が熊本ということで、ちょうど熊本ガンバレ! みたいなキャンペーンもガルパンを通じて行われていた。
そのため僕は、なぜかガルパンSSを読むことでガルパン人気に貢献し、ひいては熊本の応援をしている気持ちになっていたのである。いま考えると意味不明だが、当時はそんなことにまで意味を見出そうとしていた。
そして僕は最終的にアニメを一話も見ていないのに全話だいたい把握しているし、映画の内容も全て知っているまでになった。
ちなみに好きなカップリングはまほちょびです。
好きな作品が生まれると、今度はその作品の別形式の2次創作を探してネットを巡回することができる。具体的にいうとガルパンSSにハマったあとはTwitterやpixivでガルパンのマンガやイラストを探す作業に没頭できるのだ。
この好循環によって、自己嫌悪に陥っていた状態から僕はあっという間に「ガルパン最高!」「ガルパンはいいぞ」とか一人で言っているただのガルパンおじさんになっていた。
そして相変わらず畳の上でゴロゴロしていた。
つづく