魚の感想

twitterの外付けの感想置き場として使っています。

ちょうふくとじゅうふく

いきなりだが、重複は“ちょうふく”と読む。

 

しかし重複を“じゅうふく”と読む人もいるのではないだろうか。これは間違いではない。

重複を“じゅうふく”と読むのは慣用読みというやつで、本来の読み方ではないものの使用者が多いので定着した読み方だ。

 

本当は違うけど使う人が多いからその読み方もOKになるというのは言葉の柔軟性を表す面白い現象だと思う。

 

ちなみに僕も昔は“じゅうふく”と読んでいたが会社で矯正されて“ちょうふく”と読むようになった。今回はその話だ。

 

今回も暗い話だ。

 

 

 

だいたい1年前とかの話になると思う。

 2、3年ほど働いているといよいよ顧客とのやりとりをしなければならないようになってくる。やりとりは電話が多いけど、メールとかタスク管理ツールとかも使ってやりとりする。その時にビジネスメール調の文章を書く技術が求められる。

あとは会議の議事録だ。議事録も会議を行った取引先と共有するのでちゃんとした文章になっていなければいけない。会議の中であった口語的発言をビジネス的な文語的表現に直して文章を書く技術が求められる(最初からみんな文語的表現で発言すれば楽なのに……)。

 

さて僕はといえば、仮にもこんなブログを書いてインターネットに公開するような恥ずかしい行為をかれこれ3年も続けているにも関わらず、これらの技術についてはカス同然であった。

 

よって、メールや議事録については毎回上司に査収してもらい、その度に訂正を受け、ようやっとまともなビジネス的文章を作るのになかなかの時間を費やすのが常であった。

上司いわく、文章を書くにあたって、僕は普通の人よりも多くの時間を浪費しているとのことだった。

 

当時よく言われた……というか今もよく言われているのは「日本語苦手なの?」とか「プログラミングより先に日本語を勉強したほうがいいかもね」とかである。

 

いちおうちゃんと卒論も書いて大学を卒業して、毎日ツイッターでなんか書き、たまにブログまで書いてる僕にとってこういうことを言われるのは、昔はかなり悔しかったのだが、最近はなんかもう、どうでもよくなってきた。

あまり感情が動かない。あぁ僕は日本語できないんですよね〜知ってます知ってますって感じだ。

 

みなさん、みなさんが今読んでいる文章は日本語ができない人の文章です。

 

そんな僕だから、重複を“じゅうふく”と読んだ時も上司から指摘された。

「“じゅうふく”じゃなくて“ちょうふく”だからね」

 

実は重複を“じゅうふく”と読んでも別に良いということを知っていた僕は(えっ“じゅうふく”って読んでも良かったんじゃないっけ? でも確かに正しくは“ちょうふく”だった気がするな……)と思いつつ

「あっすみません……間違えました」

と謝った。

 

ビジネス文書には重複という言葉が多く出てくる(ひょっとしたら勘違いかもしれないが)。最初に重複の読み方を指摘された後も、僕の“じゅうふく”読みのクセはなかなか治らず、何回も重複を“じゅうふく”と読んでしまった。

そしてその度に

「“ちょうふく”ね」

「また“じゅうふく”って言ったよね? “ちょうふく”だからね」

「これ何回も言ったと思うけど、“ちょうふく”だからね」

「だから“ちょうふく”って前にも言ったよね? “じゅうふく”って読む人いないよ?」

と指摘された。

 

流石に“じゅうふく”なんて読み方をする人はいない、みたいなことを言われた時は少しムッとしたので

「いや……“じゅうふく”っていう読み方もあるんですよ……?」

とオドオドした感じで言い返した(僕は会社では基本的にオドオドしている)。

僕が言い返したものだから、軽くその場で「えっ? “じゅうふく”なんて読み方ないでしょ?」「いやいや……確かあるんです。あるっていうか、許されてるはずなんです」みたいなやりとりがあり、じゃあその場でネットで調べてみようということになった。

 

【ちょうふく じゅうふく】と調べると重複は“ちょうふく”と読むが、“じゅうふく”という慣用読みも存在する。と大量にヒットした。僕は自分の知識がちゃんと合っていたことにホッとした。

 

結果を見た上司は

「へぇ〜そうなんですね。いやぁ僕、頭悪いから知りませんでしたよ。いやぁ〜やっぱり〇〇君は僕と違って頭が良いから羨ましいな」

と、だいたいこんな感じで言ってきた。

 

上司は僕が何かの知識(具体的にはIT系以外の知識)を出すとこんな風に言ってくるクセがある。他方では日本語を勉強しろとか言ってくるのにこの言い方なので、煽り以外の何者でも無い。

 

煽られたものの、僕は、これで“じゅうふく”読みも許されるかな? と思って勝ち誇った気持ちだった。しかし上司は

「でも、このサイトにも書いてあるように、本来は“ちょうふく”読みが正しいんだよね? じゃあ“じゅうふく”と読むのはやめたほうがいいんじゃないかな? 正しい日本語を使ったほうがいいと思うんだけど、どう?」

と強めに言ってきた。

「えっでも、“じゅうふく”って読む人もいるみたいだし、言ってしまえば、あまり気にしなくても良いのでは……?」

「いやでも、正しい日本語は“ちょうふく”なんだよ? だったら“ちょうふく”の方がいいでしょ? 正しくないとわかっているのにあえて“じゅうふく”を使う理由は何?」

「理由と言われても……特に無いですけど……」

「じゃあ“ちょうふく”だよね」

「……はい」

こんな感じで、結局僕の“じゅうふく”読みは矯正されていくことになった。

 

それからもなかなか“じゅうふく”読みが抜けなかった僕は、何度か

「ここの部分がじゅ……“ちょうふく”しているみたいです」

みたいな言い直しをしていた。

 

一番困ったのは、電話でお客さんが“じゅうふく”読みをしてくる時だ。向こうが“じゅうふく”と言ってくる時はこちらが“ちょうふく”と言っていいのか、向こうに合わせて“じゅうふく”と言ったほうがいいのか分からなかった。

「こことここの表現が“じゅうふく”しているからなんとかならないですかね?」

「そうですね、こことここと、あとこの部分も……ち、“ちょうふく”しているみたいですね」

みたいな感じでおそるおそる喋っていた。

 

そんなこんなで、僕はなんとか重複を“ちょうふく”と読むようになった。

 

この矯正の反動として、僕は重複という言葉をあまり使わないことを心がけるようになった。

重複の代わりに「重なっている」「同じものがある」のような言葉をできる限り使う。

 

理由は2つある。

ひとつは、前述したように人によって読み方が違うからである。そして、人によっては正しい日本語を気にするからである。自分が正しい日本語を使っているということを気にすると言い換えてもいいかもしれない。

もうひとつは、「重複」という言葉を見ると、何度も何度も言われた「“じゅうふく”じゃなくて“ちょうふく”ね」という言葉や、検索結果の画面の前での無意味だったやりとりや、自分が日本語を勉強しないといけないことを思い出すからである。

 

そんな言葉の一つで、何をそんなに気に病んでいつまでも引きずっているんだコイツはと思う人もいることだろう。僕も自分で自分にそう思う。

自分にそう思うからこそ、心がけて逃げようとしている自分自身が気持ち悪くて二重で嫌になる。

 

ここであらためて言っておこう、重複は“ちょうふく”と読む。そうしないと怒られるから。

 

でも僕は、誰かが“じゅうふく”と読んでも気にしない。そういうことが大事なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、その上司は早急を“そうきゅう”と読む。