魚の感想

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いつもありがとうございますが恥ずかしいという話

大学生のころにこじらせ、自分の行きつけの店というものが欲しくなった。だいたいの芸能人とかが持ってるアレだ。

 

「学生時代はいっつもここで飯くってましたね」”この場所が今の○○のルーツなのである”

 

みたいなセリフとナレーションが入るような場所。そういう場所を持っているのと持っていないのでは今後の人生の深みが変わるような気がしていた。

行きつけの店……それは家と学校以外の自分の居場所、違う仮面をかぶることができる場所、青春を思い起こすことができる場所。

もしかしたら子供のころに憧れた秘密基地と同じものだったのかもしれない。漠然とした憧れであったが確かに僕は行きつけの店を求めていた。

 

こじらせている……なんともこじらせている……僕はそういう人間だった。

 

そして色々と考えた僕が選定した行きつけの店(予定)は近所のチェーンのラーメン屋だった。

 

そのラーメン屋は、家から徒歩圏内で、あまり高くなく、なおかつラーメンという食べ物が学生っぽいからという理由で選定したのだが、そもそも行きつけの店というものは選定するものではなく生活の中で通っていた……というものであるはずなので、選定するという考え方から間違えている。

しかし生活のなかにそういった青春の1ページとして飲食店が選ばれるような人生は送っていなかったので、自ら選定するしかなかったのである。

 

ともかく近所のラーメン屋を行きつけの店にしてやろうと思った僕は、お金に余裕があれば休みの日はラーメン、平日でも晩飯をラーメン、学校からの帰りにおやつ感覚でラーメン……と1ヶ月ほどそのラーメン屋に通い、端っこの席で一番安いラーメンを食べ続けた。

 

そしてついに言われたのだ「いつもありがとうございます」と……。

 

「いつもありがとうございます」その言葉は店員が僕を常連と認めた証である。これはもう、このラーメン屋を行きつけの店と呼んでもいいということであった。

なけなしの学生の資金をひたすらラーメンにあて続け、とうとう僕は憧れだった行きつけの店を手に入れたのだ。

 

が、しかし、この時の僕の胸の内に喜びの感情はなかった。「いつもありがとうございます」という言葉から僕の体に恥ずかしさが染み渡ってきたのだ。

自分から認められていることを欲していたはずなのになぜ恥ずかしくなったのか? ただとにかく店員に認知されているということがひたすら恥ずかしかった。「いつもの」と言うと同じラーメンが出てくるような店との関係を求めていたはずなのにそのかなり前の段階である「いつもありがとうございます」がひたすら羞恥だった。

 

僕はこのとき行きつけの店を持つということをちゃんと理解していなかったのだ。行きつけの店というものはただ通っているだけではダメなのである。その店の常連客にはなれるが、そこから店との関係を維持し続け、他人にも紹介できるような行きつけの店にするには店員とのちょっとした人間関係を築く必要があったのだ。

 

そしてこのとき、僕は店員から投げつけられた「いつもありがとうございます」という最初の人間関係を無視してしまった。

次の日から僕はそのラーメン屋に行くことをやめてしまったのである。また行くのがとにかく恥ずかしかったのだ。「いつもありがとうございます」と言われたくらいで行くのを止める非常にめんどくさい客だと自分でも思う。

 

ーーー

 

それから大学を卒業して、就職した。

僕はここでもまた「いつもありがとうございます」を浴びることになる。

 

僕の勤めている会社が入ってるビルの近くにはコンビニがある。昼休みはここのコンビニで弁当を買い、会社のビルの中にある休憩室で食べるのだ。

コンビニというところはかなり人の出入りが多いところではある、特にオフィスビルが近くにあるコンビニの昼は多いはずだ。なので僕が毎日毎日弁当を買っていたところで店員に認識されることはまず無いだろうとタカを括っていた。

 

しかし僕の何かが印象に残ってしまったのか(スーツなのにクロックスを履いている

ところか、結び目がビロビロのネクタイか、絶対に弁当を温めないところか)店員に顔を覚えられてしまったらしく、ある時期を境に「いつもありがとうございます」と言われるようになってしまった。

 

予兆はあった。

なぜか店員が「お弁当温めますか?」と僕にだけ聞かなくなっていたのだ。

 

お昼のラッシュ時に混み合うレジでも店員は「お弁当温めますか?」と客の1人1人に聞いてレンジを回す。レンジが鳴ったら弁当を出して袋に詰め、「お待たせいたしました」と言って客に渡している。

僕は毎回弁当を温めることを断っていた。何故かというとレジの前で待つのが気まずいのだ。店員さんにわざわざ温めてもらう手間が申し訳ない。同じ理由で店員に取ってもらうおでんも注文するのが苦手だ。

ただしホットスナックは別だ。あれはとっても食べたくなる時があるので店員さんに取ってもらうのもやぶさかではない、というよりも取ってもらうしか手に入れる方法が無いので頑張っているのである。複雑な名前のチキンとか注文するときめっちゃ緊張する。

 

話が逸れてしまったが、とにかく店員は「温めますか?」と必ず聞いてくる。それが通常のコンビニレジの対応だ。

だがそれが、何故か僕の時には無くなった。前の客には聞いてたのに……ワンスキップである。何故だ? 舐められているのか? そう思った2日後くらいに「いつもありがとうございます」と言われた。オイオイ待ってくれよここでも言われちゃうのか? 勘弁してくれ……僕は1度同じことを言われて自分の面倒臭いな内面を認識さられたんだ。もうその言葉は卒業したかったのに……

 

コンビニでまたしても「いつもありがとうございます」と言われた時、僕の胸に湧いた感情はやはり羞恥だった。

 

いつも行くコンビニで自分のことを店員が認識していることを想像してみてほしい。とっても嫌ではないだろうか? あなたはいつものコンビニでどういう人間だと思われているのか想像してしまわないだろうか? 変なあだ名とか付いているんじゃないだろうか?

僕の場合は「クロックス」とか「ビロビロネクタイ」とか「冷やご飯」とかあだ名を付けられているのかもしれない。そう考えると「いつもありがとうございます」という言葉が単純な感謝ではなく、一種の嘲笑のようにも聞こえる。

 

 

いや、それは考えすぎだ。そうも思う。

しかし本当のところはどうなのか? 正解は? 疑心暗鬼が止まらない。

 

やっぱり自分が印象に残ったということ、店員に認識されているということが恥ずかしい。

そして店員からの「いつもありがとうございます」を素直に感謝の言葉として受け取ることが不可能な自分の性格も恥ずかしい。

 

ーーー

 

そしてこれは本当につい最近の話である。

もう僕が言葉の意味や自分の目的にかかわらず、とにかく「いつもありがとうございます」と言われることに恥ずかしさを覚えてしまう人間であることは理解していただけたと思う。

 

先ほどコンビニでも言われてしまったと書いたが、コンビニは僕にとってはライフラインであるので学生時代のラーメン屋のように言われたからといって次の日から行かなくなったということは無い。

しかし代替案というものも欲しくなってくる。特に最近はコロナウイルスの関係であんまり人が集まるような場所は避けていたい。

 

そう思っていたところ、会社の近くの餃子屋が中華弁当を売っていたのだ。

試しに買ってみたところ、そこの店主が思っていたよりも嬉しそうになり、感謝されてしまった。ここらへんの内容はつい最近のブログにも書いたと思う。

 

弁当も美味かった。味も量もいい感じで、金額もすごく安くはないが相場といったところだったし、なにより温度が暖かかった。

いつも冷たい弁当を食っているのは完全に自分のせいなので、冷たい弁当に文句があったわけでは無いが、久しぶりに暖かい弁当を食べるとより美味しく感じたのである。

 

このとき僕が食べたのは唐揚げ弁当だったのだが、その店ではあと「餃子弁当」と「生姜焼き弁当」と「日替わり弁当」の4種類の弁当を売っているとのことだった。

そこの弁当が気に入った僕は、ひとまず4種類全てをコンプリートすることにしたのだ。まぁ日替わり弁当は毎日変わるので、実質3種類だけなのだが……

 

次の日僕は同じ店で日替わり弁当を買った。なぜ日替わり弁当にしたのかというと、その日の日替わりの中身が唐揚げと餃子だったのである。本当は餃子弁当を食べてコンプリートに近づけたかったのだが、昨日の唐揚げがとても美味しかったので誘惑に負けてしまった。

日替わり弁当の唐揚げも餃子も美味しかった。

「なんだ、餃子もちゃんと美味しいじゃないか。明日は餃子弁当にしよう」

 

そして次の日、僕は餃子弁当を買った。

すると店主がはじける笑顔で

 

「いつもありがとうございます!」

と言ってきたのである。

 

オイオイオイオイ!

早くねぇ!?

 

早いよ! 全然“いつも”じゃないじゃん! まだ3回目じゃん!

あなたの店の料理、まだ唐揚げと餃子しか食べてないよ!? 生姜焼きの味知らないよ!?

 

ラーメン屋は1ヶ月、コンビニは1,2年ほど経ってから「いつもありがとうございます」と言われた。ところがこの餃子屋は3回目でである。

なんだこれは、いつもありがとうございますRTAなのか? TASさんがいつもありがとうございますをやるとこうなるなのか? 早いよ、そして恥ずかしいよ、喜ばれてるのは伝わってきたんだけどやっぱり恥ずかしいよ……

 

というわけで、まぁ、コロナで大変なんだろうし、とりあえずゴールデンウィークが終わったら生姜焼き弁当を食べに行こうと思います。

 

以上、恥ずかしいんだよという話でした。