魚の感想

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「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の感想 〜人間(僕)にはまだ早い〜

こんばんは、魚の精巣です。

 

SF映画の原作小説を読んでブログで紹介していこうと思い立ち、色々読んでいます。

前回の「ジュラシック・パーク」で、次はブレードランナーの原作の感想書きます。と言ってしまったので、「この作品、紹介しやすいな〜」というのがあっても先にブレードランナーを消化してしまわないとなんとなく気持ちが悪く、そしてブレードランナーの原作小説の読解にかなり苦労し、結果苦しい展開になっております。

 

ちょっとした後悔……

 

ブレードランナーの原作小説はフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」です。なんかラノベっぽいタイトルだよね。

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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」というタイトルを聴いてまず何を考えますか? とりあえずアンドロイドが電気羊の夢を見るのか見ないのか気になりません?

電気羊の夢の話なんて映画には出てきていないので、ここが映画と原作の違いだろうから、ブログではここを重点的に書こうかなと思っていたんですが……なんと原作にも電気羊の夢の話なんて出てこないんですよね……。

 

 

ビジネス的な文章表現に毒され、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」というQに対して「見る/見ない」という明確なAがあると思いこんでいました。

もうちょっと色々な文章表現というか色んなものを読んで、偏った表現方法を唯一の正解だと思わないようにしたいですね。何が言いたいかと言うと労働はクソ。 

 

いつもの労働ディスをついしてしまったんですが、この小説、自分の読解レベルが低いことを考慮してもとにかく難解だった。キャラの感情が読み取れねぇ……これはもちろん作品の出来がうんぬんということではなく、単純に自分の読解力の足りないせいだと思います。

 

 あぁ~もうだめだ難しい~!! 哲学SFはちょっと僕には早過ぎた! もういい! 古典SFを考察しつつ情緒に富んだ感想を書くのは無理だ! 書きたいように書く! 文章表現なんか

うるせ~~~~~~~~!!!! 知らね~~~~~~~~~~!!!!!!

 

FINALFANT

   ASY

 

FF7のリメイクやりて~~~!!!)

 

お前結婚していたのか!?

というわけで、特に気負ったりせず映画と原作の違いを知って「へぇ~」となったところだけ感想として紹介していきます。前回のジュラシック・パークもそんな感じだったんでね。

まず、開始1ページ目でいきなり映画と違う箇所が出てきます。主人公のリック・デッカードが結婚してるということです。

 

僕の中のリック・デッカードのイメージといえば、さも当然のようにハリソン・フォードだったので、ハードボイルドで一匹狼で寂しげな雰囲気を持つ色男だったのですが、そのハリソン・フォードがいきなり結婚していたので「えっお前結婚してるのか!?」って出鼻をくじかれました。開始1ページ目で。

るろうに剣心斉藤一が結婚していることを知ってビックリする剣心たちみたいな心境ですよ。

 

結婚しているということはレイチェルとの恋愛展開は全部不倫ということになるのか? それとも原作だとレイチェルとはそういう関係にならないんだろうか? とこの段階で考えたりしていました。

こういう映画と原作の違いを認識しながら読み進めていけるのは楽しいですよね。

 

そういえば用語もちょっと違うな!?

このブログを書くときにwikiや解説を読んで気付いたのですが(おい)使ってある用語が映画と原作で異なっていますね。

原作にはブレードランナーという言葉はなく、リックはブレードランナーではなく賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)という呼ばれ方をしますし、人造人間のレプリカントもアンドロイドという名前になっています。

 

あとアンドロイドの愛称がアンディーでちょっとかわいい。

 

何だそのガシェットは!?

いたるところで言われているのが、ブレードランナーはそれまでの近未来SFにあった煌びやかなイメージを払拭し、暗くて退廃的な未来という新しいミームを植え付けた、当時としては前衛的な作品……ということです。僕は当時の人間じゃないので分かんないけど。

そんな感じのSFなので、スター・ウォーズのように未来感のあるガシェットがガンガンでてくる訳ではないですが、それでも飛行車(ホバー・カー)やウロコに製造Noのある人工ヘビが出てきます。

そんなブレードランナーの中でもっとも人気のガシェットがリックの持つやたらゴテゴテした銃、デッカードブラスターであることは言うまでもないでしょう。

 

ただ、デッカードブラスター、原作には無いみたいです……もちろんリックはバウンティ・ハンターなのでレーザー銃は携帯していますが、おそらくデッカードブラスターとは違ったものだと思います。

 

その代わり原作では映画で登場しない謎のSF的ガシェットが登場します。

 

ペンフィールド波発生機:人間の感情をコントロールしたり筋肉を硬直させたりできるペンフィールド波を出す。

情調(ムード)オルガンペンフィールド波を発生させる家電。ダイヤルの番号をいろいろと帰ることで性的恍惚とかテレビを見たくなる欲求の脳の部分を刺激して、無理やり気分を制御できる。少し怖い気がするけど便利、一家に一台情調オルガンって感じ。

共感(エンパシー)ボックス:ハンドルを握るとマーサー教の神であるウィルバ―・マーサーと感覚を共有することができる。マーサー教みんなでマーサーの感覚を共有することが美徳となっている。リックはあんまり使わない。危ないSNSっぽい性格の家電。

無限鍵(インフィニティ・キー):どんな鍵でも分析して開ける鍵、要するにマスターキー?

正弦波(サイン・ウェーブ):警察のホバー・カーに装備してあるレーザーを無効化する装置。アンドロイドと車内でやり合うことになり、リックは相手のレーザー銃を無効化し、自分は旧式の.38マグナム弾で撃ちぬいた。旧式武器の特性で最新兵器を下す展開カッコイイ……

 

こういった、SFっぽいガシェットが出てきてうひょ~! となれます。

共感ボックスとかいまだにちょっと意味を理解してないんですが、だがそこがいい。

 

そんなに動物が大事なのかよ!?

放射能に汚染された地球で生き残っている人類は、富裕層だけに許された火星への移住を夢見て暮らしている(いや、半分諦めている)のですが、人類に残された美徳であるマーサー教の教えのひとつが生き物を大事にすることなので、みんな生き物を飼います。高いペットを飼っていることがステータスの一つなのです。

 

リックも羊を飼っているのですが、こいつがロボットの電気羊(タイトルのやつだ!)なのでリックは満足していないわけです。電気羊も本物そっくりに食べたり寝たりするんですが、ステータスになるには偽物の動物ではなく本物の動物ではないとダメなんですね。

そういうわけでリックの動物を欲する欲がすごい。そもそも火星から逃げてきた最新アンドロイド(ネクサス6型)を全部自分で”処理”することへのモチベーションも、動物を買うためですからね。

 

映画では、偽物のヘビが出てきたものの、人々がかなり本物の生き物に執着している様子は描かれなかったので、ここらへんの描写も原作だとかなり違いました。

 

日本語どこ行った!?

ブレードランナーでは日本語がめちゃくちゃ出てきます。屋台のオヤジが思いっきり日本語で「ふたつで充分ですよ!」とか言ったり、強力わかもとのデカい電光看板とかが出てきたりします。

 

これ、原作ありませんでした。

 

そもそもなんであんなに日本語が出てきたんでしょうね?

理由はともかく、日本は当時の欧米にとって「異質な文化を持って自分たちの領域に侵入してきた得体のしれない国」だったんじゃないかと僕は思うわけです。悪く言うと「最近調子こいてきたよく分かんない奴ら」だったと思うんですよ。

 

少し古い洋画って日本を「調子こいてる国」として扱ってる雰囲気がありません? そういう空気感をもとにして考えると、そういうことなんじゃないかなぁ……って。

 

そういう日本人の日本語がくすんだ近未来にはびこる言語として映ったことで、ブレードランナーのもつ退廃的で受け入れがたい雰囲気に深みを持たせたとしたら、それは面白いなぁと思います。

 

ようするに「日本語ってなんか意味わかんなくて怖いから雰囲気出るんじゃね?」って感じで使われたんじゃないかなぁって勝手に僕は解釈しているのです。

もちろん僕は日本人だし当時の人間でもないから完全に想像でしかないんですが……。

 

ちなみにまた話がズレるんですが、ブレードランナーの続編映画の「ブレードランナー2049」、この中では今度はハングルが出てくるんですよね。

他の映画を見ていても、昔は日本がいたポジションに今度は韓国や中国が収まってるイメージがあって、こういうところが今と昔の映画を見比べると発見があって楽しいんですよね。

 

おいおいどうなっちまうんだよ!?

閑話休題。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に戻ります。

ストーリーの細部はちょこちょこ映画と違います。別のバウンティ・ハンターが出てきたりします。精神障害をもつ男は映画にも出ましたが、もうひとりの主人公ともいうべきポジションになっています。

一番大きな違いはやっぱりマーサー教です。この宗教のせいでなんか話が精神世界に飛んだりしてややこしくなるので一気に難解になっちゃうんですよ。多分。

でもだいたいの話の流れは一緒です。レイチェルとはやっぱりそういう関係になります。

 

このまま映画とだいたい似た感じで終わるのかな~と思っていると終盤に映画と全然違う急展開が訪れます。

映画を先に知っているだけに、えっこれ最終的にどこへ着地するんだ? ってなります。

 

結局、アンドロイドは電気羊の夢を見るのかよ見ないのかよ!?

分かんねぇよ! だって作中には電気羊は出てきたけど、電気羊の夢の話なんて出てこないんだもん! 電気羊の夢ってなんだよ!

 

この作品のテーマは人間とアンドロイドの違いは何か? 人間性とは何か? というところだと思うので、このタイトルは「アンドロイドは人間じゃないので電気羊の夢を見ないと思いますか?」と問いかけてくるニュアンスを感じさせるんですが、僕はこれが読者を混乱に陥れている一種のミスリードだと思います。

だって別に電気羊の夢を見るからそいつが人間とは限らないわけですよ、だって俺も見たことないもん電気羊の夢なんて……どんな夢だよ。

 

そもそも作中の電気羊は本物の羊とそっくりに作ってあるんだから、いざ夢に出てきたところでそれが電気羊だと気付かないような気がする。……いやいや、そういうことじゃない。多分アンドロイドに寝ているときに夢を見る機能がついているのかとかそういうことじゃないんだ。

アンドロイドも夢を見るのだろうか、とリックは自問した。見るらしい。だからこそ、彼らはときどき雇い主を殺して、地球へ逃亡してくるのだ。 

 という箇所もありますが、多分これも電気羊の夢とかそういうことじゃない。

 

おそらく、無理にこのミスリードのタイトルに意味を見出すなら、それは「夢に見るほど電気羊を大切に思えるか?」ということなんじゃないかと僕は思います。

ただしこの考えだと、アンドロイドはもちろん、作中の偽物の動物に価値を見出していない人間も、人間ではないことになってしまう。さらに言えばこれを読んだ読者も人間でないことになってしまう、だって存在してない電気羊を夢に見るほど大切に思えるはずないから。もしかしたらこの考えでいくとアイボの愛好家の人は人間に近くなるのかもしれない。

 

でもアイボはアイボとして作られたから愛情を注げるのであって、これが犬そっくりに作られた電気犬だとしたらアイボの愛好家でも大切に思えないかもしれない。だって電気犬は犬の偽物だから。

電気犬を買う人は、本当は犬を飼いたい人なので、最初からアイボを飼いたいアイボ愛好家とは少し違う気がする。そういう意味で、電気犬の夢を見る人=アイボ愛好家という式は成り立たない。

 

というわけで誰も電気羊(つまりは電気動物)の夢を見ることはできない。

つまり誰も人間じゃないということになる。ひいては、電気動物の夢を見れるか否かで人間かアンドロイドかを判断することはできない。なので、人間は従来通りフォークト=カンプフ感情移入度測定法でアンドロイドを見つけないといけません。

 

でも、1人いるんですよ。電気羊の夢を見ることができる唯一の人物が……それがリック・デッカードなんですよ。苦悶と疲労と絶望の末、ついに電気動物への共感能力に目覚めたリック・デッカードだけが人類で唯一この領域に到達しているんです。彼が人間なのかアンドロイドなのかは関係なく……

 

電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも 

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」なんて問いは僕にはまだ早すぎます。

そんなこと聞かれても

うるせ~~~~~~~~!!!! 知らね~~~~~~~~~~!!!!!!

 

FINALFANT

   ASY

 

 

 

以上、感想でした。次回は「メッセージ」の原作の「あなたの人生の物語」の感想にするぞ~!(また宣言しちゃうのかよ)