魚の感想

twitterの外付けの感想置き場として使っています。

ロックバンドのライブとほうじ茶

ライブという方式で音楽を楽しめるかというと、やはりそれは人によるんじゃないかと思う。

少なくとも、僕はそんなに楽しめないタイプかも……という話をしたい。

 

大きなライブに今まで一度だけ行ったことがある。

かなりメジャーなロックバンドのライブで、ニューアルバムのリリース全国ツアーの福岡公演に、当時大学生だった僕は友達に誘われて同期の何人かで行ったのだ。

 

 

当時の僕らの間ではそのバンドがすごく流行っていたし、僕もファンだったから誘われたのは本当に嬉しかった。あと、僕よりももっとそのバンドが好きな人で行きたそうな人がいたのに、わざわざ自分を誘ってくれたのが嬉しかった。

だからライブを見に行くまでにニューアルバムを聴き込んだり、ネットでライブ動画を見たりして準備をした。

 

ライブ当日は楽しかった。一緒に行くみんなで車を出して、ライブの会場へ行く前に少し観光したり、ライブ会場に着いたら長~い物販列に並んでダサいTシャツを買ったりした(物販列に並んでるときに不審者が現れて女性ファンを狙ったイタズラをしていたのがこの日1番面白かったのだが、その話はまた別の機会にしたいと思う)。

 

 

ライブが始まった。

僕らはアリーナの立ち見席で、ずっと立っていないといけない代わりに、場所は決まっていないから好きに動いていいらしい。

「どんどん前に攻めようぜ!!」

みたいなことを始まる前は友達と言っていたが、いざ始まると観客はみんな前に行こうとする(当たり前だ)ので、他人との押し合いへし合いに慣れていない僕は

「あっ、あっ、」

っと言っている間に後ろの方に追いやられてしまった。

 

気付けば周りに友達はいなくなった。

 

 

ライブで感動したのは今までCDの音源でしかなかったバンドの演奏と歌が現実としてそこにあったということだ。

今まで聴いていたこのバンドは現実に存在しているものなのだということを僕は実感として理解した。僕はわりとアホなので、心のどこかで、現実には存在していないんじゃないかと疑っていたのだ。そんなことはないと頭では分かっていてもだ。

 

「あぁ実在したのか! しかも目の前で歌っているではないか!」と素直に感動した。

 

みんなとはぐれて心細いけど、とりあえずライブは楽しもう! せっかく歌ってくれてるんだし! と思っていたのもつかの間だった。

ライブというものはコール&レスポンスというものがある。そのバンドのコール&レスポンスは「みんな一緒に歌ってくれッ!!」的な奴だった。悲しいことに、後ろの方に追いやられてしまった僕にはボーカルよりも隣の汗だらけマッチョの声がよく聞こえるのである。

「えっ、この人めっちゃ声デカい……」

ボーカルの歌をずっと聴いていたいのに隣のマッチョのカラオケリサイタルを聞いている気分になってきた。予習していたライブ映像からは分からなかったが、意外とライブって周りの人の声が耳に入ってくるものなのである。

 

アルバムのメイン曲や代表曲のイントロでは会場全体が「ワァーーーーッッ!!!」っと盛り上がる。その歓声のなかに会場では自分も参加できるのだ。ライブの一体感というやつが癖になったらどうしよう、と始まる前までは思っていた。しかし現実の僕は歓声を騒音としか捉えられなかった。うるせーーー!! 歌いだしが聞こえない!!!

環境が気になって曲に集中できない。思えば映画館でも些細な音だとか前の人の髪型が気になって集中できないことが多々ある。

 

気付けば僕は床に転がる飲みかけのペットボトルのほうじ茶を発見していた。

 

 

誰かが置いたのだろうか、そのペットボトルのほうじ茶は、僕より数歩先で、ぴょんぴょん跳ねる観客の足元をコロコロと右往左往していた。

「誰だよ床にペットボトルなんて置いたやつは、誰かが踏んだら転んで大変なことになるだろ」

危ないなぁと思いつつも片付けるようなことはしなかった。人ごみをかき分けて取りに行くパワーがなかったし、取ったら盗んだことになるのではと思ったし、正直いうと僕の中の悪い部分が「実際に誰かが踏んで大変なことになってしまえ」と言っていた。

 

 

まぁここまで転がってきたら処理してあげるか……。おっ踏みそう、いやこの曲のジャンプじゃ踏まないか……。あっ次の曲激しいやつじゃん! やべぇ、ほうじ茶どこいった!? あっいた! あ~やばい踏まれちゃう! おぉ~セーフwww それにしてもアイツは良く動くなぁ、俺より良く動くじゃん

 

 

もうほうじ茶が気になって仕方がない。

 

 

ほうじ茶は人間の動きに合わせて激しい曲では激しく転がり、バラードでは誰かの足元に寄り添うように静止し、MCでは笑いながら蹴られていた。

ほうじ茶は人間のように振る舞い、岩のように前へ前へと転がっていった。ライク・ア・ロックンロール。ほうじ茶は観客と一体化してライブを楽しんでいるように見えた。そう、僕よりも。

 

最初は数歩先にあったはずのほうじ茶はいつの間にか僕より遥か前に転がっており、僕は妙な孤独感と虚無感に襲われた。

気付けば僕の後ろには仕切り用の後方フェンスしかなく、最後列にいることが分かった。ほうじ茶が前に行ったのではなく、自分が後ろに行っていたのかもしれないなと思った。

 

結局その後のライブはフェンスに寄り掛かるようにして立ち(足が痛かったので)、終わったらすぐに会場を出て車で友達を待った。友達は会場を出るのに苦労したらしく、あまりに早い僕を見て「どこにいたの?」などと聞いてきた。

 

 

もちろんこのライブは面白いところもあったし、感動もした。友達と一緒だったのも楽しかったし嬉しかった。そのバンドも今でも好きなままである。

 

ただ、僕個人がライブという方式でそのバンドを楽しめるかと言われたら正直微妙である。この経験で「音楽は家でリラックスして聴いた方がよくね?」と思ってしまったのだ。勘違いしてほしくないのはそのバンドの問題ではなく、あくまで僕個人がそういう人というだけの話なのだが。

それに、このライブが人生で初めての大きなライブだったので、萎縮してしまっただけというのも考えられる。どこかで別の成功体験を得れば、ライブを楽しめる人間になれるような気もする……気もするが、やはりどうしてもぴょんぴょん跳ねるフロアの足元に転がるあのほうじ茶と孤独と虚無感を思い出してしまうような気も、またする。

 

ライブの帰りに立ち寄ったサービスエリアでうどんを食べながら「ペットボトルのほうじ茶が転がってきた?」と聞いてみた。友達は、そんなものは見ていないと言った。