魚の感想

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哲学の道にウンコは落ちていない

就職してそろそろ1年近く経つので、会社に行く最短ルートというものが分かってきた。

 

その道を歩いていけば3分は早く着くことができる。3分は意外とデカい。

もっぱらその道を利用して通勤しているのだが、世の中なかなかうまい話はないようで、最短ルートにもある難点があることが発覚した。

 

ウンコがめちゃくちゃ落ちている。

 

 

その道には犬のウンコがよく落ちている。これには理由がある。

 

この道はマンション群の合間に隠れるように伸びている道で、周囲のマンションで犬を飼っている人達の散歩コースになっているのである。そして人通りが少ない。

 

大通りのウンコはちゃんと飼い主が回収するが、隠された裏道のウンコは放置されていく、人間のエゴで道がウンコまみれになっているのだ。

 

 

まぁとりあえずそんな感じで汚いのだ。会社まで最短の道はウンコというトラップが張り巡らされた魔の道でもあったのだ。

 

 

結果、僕は毎日足元に気を付けながら通勤している。

日本人はうつむいて歩くというが、僕の場合は憂鬱な日常に嫌気がさしているのではなく(もしかしたらそれもあるかもしれないが)ウンコを避けるためにうつむいて歩く。

 

もしも坂本九のように上を向いて歩いてしまったら、涙も結局こぼれてしまうほどウンコを踏むだろう。

 

 

デモンズソウル」や「ダークソウル」を知っているだろうか? プレイヤーが死んだ場所に”影”みたいなものが残り、それをチェックするとそのプレイヤーがどんな死に方をしたかが分かる。

 

同じように、その道のウンコにも”影”として踏んでいった者の足跡が残っていることがある。それを見ると

「こいつは2,3歩気付かなかったな」とか

「こいつはここのコンクリートで頑張ってこそぎ取ってるな」とか分かる。

そういう楽しみ方もあるにはある。

 

 

ある時、僕はウンコに集中して退勤しているといつの間にか家に着いてしまっていたことに気付いた。

 

ウンコを避けることに集中して歩くと何も考えることができない。ウンコを踏まないことに必死だ。

 

つまり僕は今までウンコに思考力を奪われ、無心で通勤を繰り返していたのだ。

 

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哲学の道を知っているだろうか? 哲学者がそこで歩きながら思案を巡らせたと言われている京都にある小道だ。

正直、行ったことないので森見登美彦の小説に出てくること以外よく分からない。

 

よく分からないが、少なくともウンコは落ちていないはずである。哲学者が哲学的なことを考えるための道ならば、そこに思考の邪魔になるものは存在しないはずなのだ。

 

哲学の道にウンコは落ちていない」

 

逆説的に、ウンコまみれの道は「哲学の道」とは成り得ない。もっと言うと、その道を歩いている僕は哲学者にはなれないのだ。

 

このまま凡人の僕は哲学者的思考を巡らせる余裕もなく、ウンコだらけの道を通って、ただ無心で通勤を繰り返す労働マシーンになってしまうのだろう。

 

会社まで最短の道はウンコというトラップが張り巡らされた魔の道でもあり、社畜を生産するためのブラックベルトコンベアでもあったのだ。

 

 

犬の散歩をする方々、ウンコをちゃんと拾ってほしい。あなた方の愛犬のウンコの上をもしかしたら哲学者が歩くかもしれないことを想像してほしい。

 

「自分がどこから来て、どこへ向かうのか」について考えなければならない哲学者が、「ウンコが誰のウンコで、誰が拾うのか」について考えてしまうことを想像してほしい。

 

これじゃあ哲学的ゾンビどころか哲学的ウンチである(意味わかんない)。

 

 

以上。深夜の散文でした。

京都に行くときは「哲学の道にウンコは落ちていない」を確かめに行きたいと思います。