魚の感想

twitterの外付けの感想置き場として使っています。

芋焼酎もいいもんだ(芋だけに)

今日はお酒の話をしようと思う。

 

先日、仕事終わりに会社の飲み会(飲み会と言ってもまだコロナが怖いので少人数の会だったけど)があった。

僕はいつものように定時ギリギリまで仕事を振られ続けていたので開始に間に合わず、遅れていくと、既に始めていてくれたのでテーブルの上には既に酒が用意されていた。そこにボトルで置いてあったのが芋焼酎の「さつま島美人」であった。

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 なるほどぉ、芋焼酎か……

 

福岡の人は僕の観測した限りだと焼酎は芋焼酎が好きだ。福岡に越して間もない頃、これが僕の中では意外であった。というのも、九州の人達は南に行けば行くほどキツイ酒を好むと自分の中で勝手に思い込んでいたからだ。

 

九州以外の人達から見れば、九州の人間は酒に強く豪快なイメージがあるかもしれないが、決してそんなことはない。実際僕は酒に弱く、チビチビっと飲むのが好きだ。

我々九州のメンズは九州男児という言葉をプレッシャーに感じている。

 

しかし、そんな九州の人達でさえ、鹿児島以外の県の人達は鹿児島県民の酒の強さはヤバイという共通イメージがあるように思う。(これを鹿児島出身の人に伝えると「そんなことはない」と言われるのが常なのだが)

 

 熊本は米焼酎

言い忘れていたが僕の出身は熊本で、就職で福岡へ来た人間だ。

 

熊本県民は一体何を飲むのかと聞かれたら「米焼酎」と答えるのが適切だろう。なにせオッサン世代の家であればどこでも「白岳」の紙パックが置いてある。

 

熊本県民がなぜ米焼酎を好むのかハッキリとは分からないが、おそらく酒造の影響だろう。「白岳」を作っている高橋酒造は県内にある。もちろん歴史的な理由もあるのだろうが、それを論じるほどの知識は僕にはない。

とりあえず熊本県民は「焼酎=米」のような風土の中で暮らしていると思ってもらっていいと思う。

 

 米焼酎芋焼酎よりもスッキリとしていて飲みやすい。あと匂いも違う、芋焼酎の方がアルコールが濃いような匂いがする(でも度数はあまり変わらない)。

好みの問題もあると思うが、米焼酎に慣れている熊本の人間からすると芋焼酎の濃さがキツイようで、僕の母親はその典型だった。

芋焼酎を飲んだら次の日臭くなるから芋はイカン!」

とか言っていた。普通に考えてどんなお酒であれ飲んだ後は臭くなるのが当たり前なのだが、母親にとっては芋焼酎を飲んだ後の臭いというのはまた別のものだったのだろう。

 

 長島の実習

もう一つエピソードがある。

学生の時、鹿児島県の長島町で課外実習があった。さっきの写真の「さつま島美人」を作っている長島研醸がある島で、なんと島内限定販売されている「さつま島娘」という銘柄がある島なのだ。

 

島内限定という響きにやられた僕は実習の自由時間を利用して合宿所から「さつま島娘」を販売している酒屋まで炎天下の中を歩き、ボトル瓶を抱えてまた炎天下の道を戻るということをやった。

 

僕はその「さつま島娘」を晩飯の後の自由時間にみんなと分けようと画策していた。島でしか買えないお酒をわざわざ歩いて買ってくるという、こんなにも気の利いた事をやってしまったのだから友達からヒーローのような扱いを受けるに違いないと歩きながら思っていた僕だったが、いざみんなに「さつま島娘」を見せびらかすと

「それ、お前飲むの?」

みたいな、期待していたものとは違う反応だった。

 

どうやらみんな僕ほど”島内限定”という言葉にときめかなかったらしく、むしろ芋焼酎だからキツイだろうなと冷静に判断していたらしい。

僕はその場で「島内限定やぞ! 飲まなきゃ損だろ!!」と勢いづいてみたものの、実際に飲んでみるとかなりキツイ芋焼酎だったので1~2杯でギブアップしたことを覚えている。

 

誤解しないでほしいのは「さつま島娘」が微妙だったとかそういうことではなく、お酒が飲めるようになりたての調子こいた学生が、自分の地元とは別の風土で培われてきたその土地のお酒に挑んだ結果ボコボコにされたという話なのである。

 

事実、数年後、今度は教授たちのお手伝いという形で全く同じ実習に参加したとき、「さつま島娘」と再会することになり、その時の僕は自由時間を楽しむ後輩たちの中で一人ポツン寂しくテレビを見ながらゆっくり「さつま島娘」を飲むということをしていた。

この時の僕は「さつま島娘」を飲みながら過去の清算のようなものをしている気分になった。

そして、実習を楽しんでいる後輩たちと自分の比較に時間の不可逆な流れを感じてメランコリックになっていた思うが本当は輪に入れてもらえなくて寂しかっただけである。誰か話しかけてよ。

 

 風土って……

こういった色んな経験や環境から僕は「鹿児島=芋焼酎=キツイ」という印象を持つにいたり、それが「九州の人達は南にいけばいくほどキツイ酒が好き」というイメージを作っていたのだ。

 

しかしこのイメージは就職で福岡に来てから打ち砕かれた。実際には福岡県民も芋焼酎が好きで、自分のいた熊本は芋焼酎(鹿児島)と芋焼酎(福岡)にサンドされていたのだ!

サンドされているならば、熊本県民も芋焼酎のことを好きでもおかしくないような気がするが、なぜかそうはならない。ここらへんがお酒という風土の面白いところだなぁと思う。

 

話を現在に戻す。長いことお付き合いいただきありがとうございます。

 

そういった僕の浅くはあるが色々あった人生経験が、飲み会に遅れてやってきた時の「なるほどぉ、芋焼酎か……」に集約されていると思っていただければ嬉しい。

 

実は、僕は「さつま島美人」を飲んだことが無かった。

 

どうしようか? 正直仕事終わりなのでビールを期待していたんだけど、目の前にあるし、これ飲んだ方が場的にはいいよね……

 

よし、今日はこれを飲もう……!

 

氷を入れる。ロックはキツそうなので水割りにする。でもあんまり薄味の酒は好きじゃないので気持ち多めに「さつま島美人」を入れる。自分の好きな酒の味に気付いたのは何歳の頃だっただろうか? 確実にあの実習の後だったと思う。分量なんてぶっちゃけよく分かっていないが水を入れる。混ぜる。かんぱ~い、すみません遅れて~。飲んでみる。

 

あっこれ美味いじゃないか。

 

「さつま島美人」、とても美味い。

 

お酒が美味しくて話が弾んでしまい、その会では自分の弱みや仕事の悩みを話し過ぎてしまった。

でも、まぁ、いいや。うん、いいや。

 

最近自分が福岡という土地の風土にだんだん合わせられるようになってきた気がする。その土地に行ってその土地のものに好みをチューニングしていくのは楽しい。

短期間でもいい。もっと色んなところに行ってみて色んな風土を体験してみたい。

たぶんもう一度長島に行ったら、僕は今度も歩いて「さつま島娘」を買いに行くと思う。

 

土地の風土っていいよねって話でした。

 

ロケットよりでかいサイロに笑うチェーンソー男の夢

2回連続夢の話(現実のことで書くことが無い)。

 

アサガオの葉っぱのような形のチェンソーを右腕に装着することに成功した僕はこの発明を誰かに自慢したくなり、地元の街に繰り出して「チェーンソー男参上!! チェーンソー男参上!!」と繰り返し叫んでいた。

 

すると、前の方に見覚えのある懐かしい顔の多い集団がいたため、その集団に向かってまた「チェーンソー男参上!! チェーンソー男参上!!」と言うと、その集団が小中学校や大学の知り合いで構成されていることに気付いた。

 

大学の知り合いが僕の右腕のアサガオチェンソーを見て大笑いするが、他の知り合いたちはドン引きしていた。すると中学の同級生が僕の腕を引っ張って(もちろん左腕である)集団から僕を遠ざけてこう言った「おいやめとけ、アレは小学4年生の時の同窓会の集まりだぞ。お前は呼ばれなかったから行かない方がいい」

 

そう言ったそいつは中学の知り合いだし、集団の中には大学の知り合いもいたので小学4年生の同窓会というのは道理が通らないのだが、まぁそこは夢なので「あぁそうか」と夢の中の僕は思った。

 

僕を連れ出した中学の同級生は続けて、「それよりも今からS君の新居に行くんだろ? 一緒に行こうぜ」と言った。あぁそうだった、大学の同期のS君が脱サラして農家になったからその家を見に行く約束をしてたんだったと夢の中の僕は思い出し、中学のそいつと一緒に自転車でS君の家に向かった。

S君の家への道は中学生の頃によく通った道だった。現実にあるその道は夕暮れ時が1番綺麗な道で、夢の中のその道も夕暮れだった。

 

S君の家は農家の家っぽい古い日本家屋で、すごく大きかったがすごくボロボロだった。S君は「中古で買って自分でリフォームしてるんだ」と言ったが、さすがにデカ過ぎて無理だろうなと思った。そのことについては口には出さなかった。

 

それよりも気になったのが、S君の家にやたらでっかいサイロがあることだった。S君がどんな農業をするのか知らないが、そんなに巨大なサイロが必要とは思えなかったし本当にあまりにもでかいので大笑いしながら「サイロでかすぎるだろ! ロケットかと思ったわ」と言っていると、実は隣の家には本物のロケットがあった。

隣の家にある本物のロケットよりもやはりS君の家のサイロの方がでかい。

それを見てまた笑っているとそのロケットがある隣の家から、昔ちょっと好きだった女の子が出てきて色んな意味でビックリした。

 

好きだった女の子と少し話をした。その後S君に「お前、会社なんか辞めて俺と一緒に住み込みで農業しない?」と誘われたので、隣にはその女の子が住んでいるし、会社も辞めたいし、友達と一緒に農業するのなら悪くないかもなという気持ちになった。

 

「とりあえず色々うちを見てみろよ」と言われたのでS君の家をそのまま探索してみた。畑とか小屋とか、外の水道とか、離れとか、色々みているうちに人の気配が消えて完全に一人になっていることに気付いた。

 

あっ、一人だ。

 

と、そこで目覚めた。なんだか自分の願望とか現実とかが全部詰め込まれたような夢だなと思った。起きたときは寂しかったし、そのまま会社に行った。

せっとうこわし

夢の話です。

田舎の住宅街を自転車で走っていた僕は集合墓地のすぐ側を走る道に出た。

集合墓地はかなり大きいらしく、しばらく自転車を走らせてもまだまだお墓が並ぶ。

長々とお墓が続き、最初は綺麗に整備されている金持ちが建てたような豪勢な墓石が続いていた集合墓地もだんだん墓石がショボくなり、地面もコンクリートから土になっていき、雰囲気もどんどんみすぼらしい墓地になっていった。

それでも集合墓地の終わりは見えない。

今は日がさんさんと降り注ぐ真昼なので、怖いということはないが、不気味ではあった。


そのとき僕が考えていたのは自分の墓石ってどんなふうにしよう? というものであった。みすぼらしい墓地を見ていると否が応でもこんな風にはなりたくないと思ったのであった。

すると前から僕と同じように自転車で青年がやってきてすれ違う。

次の瞬間、確実にすれ違ったはずの青年がいつの間にか僕の真後ろにいて

「すみません! すみません!」

と声をかけてくるので、周りが墓地の道で思わず止まってしまう。

「僕のこと分かりますか?」

その青年が聞いてくるので僕は顔をよくよく見てみる。短髪で笑顔が似合う気がする。笑った顔の目元に薄い小シワが入っているが、自分よりも若いであろう、20代前半くらいか、そして絶対に初対面である。

誰だか分かっていなさそうな反応が気に入らなかったのか、その青年はたたみ掛けてくる。

「〇〇さんですよね?」

僕の名前を言ってくる。

「青色好きですよね?」

「納豆好きですよね?」

「〇〇で働いてますよね?」

「〇〇に住んでますよね?」

僕の個人情報を次々言ってくる。なんでそんなこと知っているんだろう、気持ち悪いなと思っていると

「え? なんで分かんないんですか?」

とか言われる。

「っていうか、僕のこと気持ち悪いとか思ってます? さっき自分の墓どうしようかなとか考えてましたよね? その前はこの墓地はずっと続くなぁとか考えてましたよね?」

いつの間にかその青年の言っていることは僕の個人情報だけでなく、僕が考えていることや青年に会う前に考えていたことを全て言い当てるようになっていた。

そして、問い詰めるように質問を連発してくる間もこの青年はにこやかな笑顔を全く崩さないのである。僕はとうとう怖くなった。これはただ者ではない。どうしよう、逃げ出したい。

 


いきなり場面が変わった。何せ夢の中の話である、場面はいきなり変わる。

その場面では僕はイスに座っており、見たこともないおばさんと対面していた。

おばさんは僕を見ながらゆっくり口を開き

「それは、あなた、“せっとうこわし”に会いましたね」

と言った。

せ……“せっとうこわし”? なんだそれは……。

どうやら僕はいつの間にかそのおばさんに謎の青年の話をしていたようなのだ、おばさんは続ける。

「“せっとうこわし”というのは言ってみれば妖怪でね、人の心を読んで、人と友達になろうとしている妖怪なんですよ、まぁ悪い妖怪じゃないから大丈夫ですよ」

 


次の瞬間、目が覚めた。

 


なんだったんだ今日の夢は、ディテールがめちゃくちゃな割には異常に明晰で、起きた後も景色やセリフや青年の顔まではっきり覚えている。

しかも妙にリアルだった。僕は夢の中にいるときに「あっこれ夢だな」と認識できるタイプなのだが、今回は認識も出来ないほどの現実感があった。こうやって書き起こしていると別にリアルでもなんでもないのに不思議だ。

 


なにより突如出てきた“せっとうこわし”なる妖怪だ。なんだその名前……窃盗壊し? 接頭壊し? 意味が分からない。

一応検索してみたけれどやっぱり“せっとうこわし”なんて妖怪出てこない。やはり僕の夢が生み出したオリジナル妖怪なのだろうか?

それにしても「人と友達になりたくて人の心を読む」だなんて、逆に友達無くしそうな特徴だと思うし、初対面の人への距離感の詰めかたも最悪だと思った。ソーシャルディスタンスを守れ。

久しぶりのブログだし楽に読書感想文を書くか

こんにちは、最近はAPEXやるか本読むかの魚の精巣です。

 

おかげですっかりブログの更新が止まり、7月始めに意味不明な替え歌を作っただけで終わってました……あっでもPythonでプログラミングしたりした! IT系っぽい!

 

今回はリハビリとして最近読んだ本を楽〜に紹介していきます。特に何も考えない。深くてそれっぽい感想とか書かない。

 

キルミーベイベー 1〜11巻

芳文社の77円セールで、みんな買ったよね……? 僕も買ったよキルミーベイベー……。

キルミーベイベーはアニメだけ見てたんで原作はどんな感じだろうと思っていたんだけど、一気に読むとやすなの狂気がよく分かる。

爆発オチが多いのと、不穏なオチで話が終わってホラー100%になることが多い。そして死にました(完)で次の話が始まるという狂気を連発してくる。

キャラがみんなロリ体型なので可愛さの中に背徳感がある。嗜虐心をくすぐられるのは僕の性癖のせいか……狂っているのはどっちだ?

 

ゆゆ式 1〜10巻
ゆゆ式 10巻 (まんがタイムKRコミックス)

ゆゆ式 10巻 (まんがタイムKRコミックス)

 

芳文社セールの戦利品その2(途中の巻まで77円だった) 

原作を読んでアニメの時と印象が変わったのは、櫟井 唯さんが結構ボケもするということだった。

ゆゆ式といえば会話が独特なところだけど、ネタを理解できるところと理解できないところがある。自分の中のゆゆ式成分が足りていないのだろう。脳を鍛える必要があるなと思った。

一気に10巻読むと思考性が野々原 ゆずこさんっぽくなる(単語の関連性をひたすら探したりする)ミーム汚染を体感した。

 

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上下

表紙にデカいロボットが描いてあるので巨大ロボットSFかと思っていたら違った。独裁国家の暗部がたくさん出てくる歴史改変SFで、巨大ロボットは上巻の最後の方でやっと出てくるくらいだった。

主人公の性格やスキルがオタク向けで、主人公の秘密が早く知りたくてどんどん読み進めていった感じ。

最後の最後で主人公の過去が分かるんだけど、 それが悲しすぎて憂鬱な気持ちになってしまった。こんな悲しい気持ちになるとは予想していなかったので自分の中で飲み込み切れず、次はもっと明るい話を読みたくなった。

思っていたものとは違ったけれど、感情を動かされるという点ではしてやられたと思う。

 

虐殺器官
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

面白いと話には聞いていなかったけれど読んでいなかったので買い、買ったはいいものの積読となっていたので読めてよかったなという本。

同じ著者のハーモニーとテイストが似ていていい感じだった。でもハーモニーよりも描写のグロテスク度が高いので、ちょっとそういう表現が苦手な僕には刺激が強かったかもしれない。

とりあえず近未来的なデバイスが大量に出てくることと、高校レベルの科学知識で語られるSF設定が好きなので面白かった。

でもやっぱり話が暗くて落ち込むので、もっと明るい話を読もうと思う。

 

チェンソーマン 1~6巻

最新巻は7巻だけど6巻までしか読んでないです。微妙だったとかではなく芳文社セールが来たからなんだけど……。

設定的にはよくあるジャンプのマンガなんだけど、なんでか面白い。話のディテールのセンスがいいのかなんだか面白い。あと女性キャラがめちゃくちゃ魅力的だ。もしかしたら女性キャラが魅力的だとマンガは面白いということなのだろうか……。

6巻がとても良かった。6巻で一区切りついているような気がする、7巻読んでないから分かんないけど、人に勧めるときは「6巻まで読んでみて!」って言うと思う。

 

 Pythonスタートブック
Pythonスタートブック[増補改訂版]

Pythonスタートブック[増補改訂版]

 

せっかく kindle買ったし、技術書を買うかということでPythonの初心者用の技術書を買って読んでみた。

自分が仕事で使っている言語以外のプログラミング言語を全く触ったことが無かった僕でもちゃんとPythonを使えるようになったので、入門書の内容としてはよく出来ているんだと思う。

電子書籍のいい点はデカい技術書を買っても収納ゼロで持って置ける点だと思う。でもいろいろ難点もある。

まず買うときは本屋で選ぶようにパラパラめくって内容を確認できない(当たり前だけど)。あと自分が読みたい内容を探しにくい、紙の本だと「だいたいあそこに書いてあったな……」って感覚で探せるんだけど、電子書籍だとそれができない。

やっぱり紙の本の良さもあるんだなという発見があった。

 

 

とりあえず、こんな感じでめっちゃ読んだ。kindleを手に入れたので電子書籍を読もうという姿勢が最近は強いと思う。

でも実は積読がけっこう残ってるんだよな……芳文社セールで買ったGA-芸術科アートデザインクラス-も残ってるし、チェンソーマンも読みたいし、SF小説も2,3冊ある。

でもゲームもしたいし、プログラミングもちょっとやってみたら思ったよりも楽しかったのでもっとやってみたい。あとゲームもしたい。

 

楽しめるコンテンツがたくさんあるのは良いことだなぁと思う。しかも全部室内で楽しめるので、このご時世でも支障が無いのはありがたい。インドア派って強いな……。

 

SF小説が残っていると書いたけど、最近はちょっと明るい話を読みたいなと思っている(SFって明るい話ほぼ無くね?)。なので、なんか最近の作品で、明るくて、できればSFっぽいものが無いかなーと探しています。

 

以上、感想でした~

丸の内サディスティック(自分ver.)


報酬は入社後下降線で

投票は行けど何にもならん

 


家エーペックスする空間だ

19万に月給ダウン

お茶飲み過ぎ

 


口臭の匂いで飛んじゃって大変さ

うまい棒絶対にこぼして拾うの件

 


ぷらっとしてると職場の人キレるさ

掃除したら全身が急に鬱ってダルって

 


最近は便座で軽サボっ子

残業を超えても上司引っ張る

 


申請書書いて10万

贅沢なんてできてない

生活費へ

 


将来像になんて言及しないでほしい

毎晩ツイッターで無理って言うだけ

ヒザやだなもう汗かいて痛い

そっとしたら元気になるから今はかまわんで

 


鼻かんで血ぃ出「ちょっ、マ??」

充分でっかい圧迫感

癒えぬ疲労

 


マンションの臭いは隣人のせいらしい

うまい具合絶叫にフタしているだけ

グラッと来てると職場の人に言えぬさ

そしたら元気が急に消えて無理っす

 


しょうもないストーリーなんで勘弁してほしい

毎晩残業っていう“儀式”だけ

ピザ屋の角っちょに立っていたい

起きたら現実、明日も捨てちまうんで

蜘蛛の糸、蛾の羽ばたき

春先、コロナウイルスで社員がほぼリモートワークになっていたのに、デスマ案件を抱えた僕のいるチームはバリバリ出社していた。

コロナ禍の中、少数精鋭で出社する姿はまさに黒の教団のエクソシスト調査兵団みたいな面構えになっていく我々。なぜ私はここにいる? と気付いたらミュウツーみたいなことを考えていることもしばしば。

 

リモートワークにはならなかったものの、さすがに会社も感染対策に全く無頓着なわけではなく、窓を全開にして換気を行っていた。

 

ところが、会社の窓には網戸が無いので結構虫が入ってくる。

特に定時を過ぎたあたりになると、光で集まるのか、ホコリみたいに小さな虫からブンブン音を出す虫まで、色んなサイズの羽虫がデスクの周りに飛んでくる。

 

その日も、キーボードから手を離して所在なくデスクの上に置いた僕の手を、小さな羽虫が這っていた。

 

あぁ……虫がいるな……くらいの認識で僕は小さな白いホコリのようなその虫を眺める。

 

僕は虫への嫌悪感が小さい方だと思う。

ブンブン音を出すタイプの虫が顔の周りに迫ってきたら手で払うし、ゴキブリとかも好きになるのは難しいが、この程度の小さな可愛い虫が手を蹂躙しているところでなんのことはない。

文字通り、全ては自分の手のひらの上だからだ。(孫悟空をこらしめるお釈迦様かお前は)

 

今日はこのホコリみたいな虫がたくさん来ているらしい。色んな人のデスクにお邪魔して作業を妨害している。

虫を見つけた社員は叫び声に似た悪態をつきながら虫を殺しにかかる。大の大人が小さな虫1匹に格闘しているのは滑稽で面白い。

 

僕は自分のところに来たホコリ虫を潰さないように指でそっとデスクの隅に着ける……さぁ逃げなさい。気まぐれで生き物を助けるのは気持ちいい。

 

そのままホコリ虫はどこかへ行ってしまった。

 

楽しい来訪者も来たりするが、基本的に仕事は楽しくない。今日も今日とてハチのようにチクチク言われる。

 

その作業まだやってるの? あの仕事やったの? あれの管理どうなってるの? なんでできないの? どうすればできるようになるのかちゃんと考えてる? なにが言いたいの? 向いてないんじゃないの?

 

そんな風に言われ続けるものだから、自分の社会的存在価値を疑ってしまう。

 

ゴキブリは嫌われているが、街のゴキブリは人間の食べ残しや酔って吐いたゲロなどを食べて掃除しているらしい。

もしかして、トータルで考えたら自分よりもゴキブリの方が社会の役に立っているのではないか? そんな風にも思える。

 

話は逸れるが、ゴキブリはエビフライの尻尾と成分が同じだとよく言われている。ということはゴキブリって揚げたら案外ウマイのではないか?

 

あっ、人間のゲロを食べたゴキブリを揚げて食べたら……循環型社会になるのでは?

 

僕は言葉で詰められながらよくボーっとこんな妄想をしている。話は聞いていない。これはもうクセのようなもので、激しい言葉をかけられると思考が現実から逃げるのだ。

 

早く話終わらないかな……現実に戻りたいんだけどな……

 

しかしリモートワークで人員が減った社内には、違う話題で説教を逸らしてくれる人どころか、僕を哀れみの目で見てくれる人もいない。

この説教地獄はどこまで続くのだろうか? そう思ったとき、1匹の蛾がヒラヒラと蛍光灯の周りを舞っているのを見つけた。

 

蛾はヒラヒラと舞い、僕が説教を受けている真上へ来ると、そのままゆっくりと下降してくる。

こういう類の虫は光に走性がある。その本能を無視して、僕と上司の間に降りてきた。

 

上司としては目の前にいきなり蛾が現れたのだからたまったものではなかったのだろう。うわぁと思いっきり手で払いつつ、たじろいで距離を取る。

距離を取った上司にならって、僕も距離を取ってビックリしたフリをする。2人の間にいい感じのソーシャルディスタンスが出来上がった。

 

僕はそのまま勢いで自分のデスクに戻ってしまう。上司もなんだかペースを乱されたようで、そのまま説教が終わった。

 

自分のデスクに戻ってみると、なんとあのホコリ虫がデスクの上にいるではないか。

お前、仲間を呼んでくれたのか?

 

みなさんは、虫に助けられたことがあるだろうか?

 

僕はある。

(カンダダかお前は)

いつもありがとうございますが恥ずかしいという話

大学生のころにこじらせ、自分の行きつけの店というものが欲しくなった。だいたいの芸能人とかが持ってるアレだ。

 

「学生時代はいっつもここで飯くってましたね」”この場所が今の○○のルーツなのである”

 

みたいなセリフとナレーションが入るような場所。そういう場所を持っているのと持っていないのでは今後の人生の深みが変わるような気がしていた。

行きつけの店……それは家と学校以外の自分の居場所、違う仮面をかぶることができる場所、青春を思い起こすことができる場所。

もしかしたら子供のころに憧れた秘密基地と同じものだったのかもしれない。漠然とした憧れであったが確かに僕は行きつけの店を求めていた。

 

こじらせている……なんともこじらせている……僕はそういう人間だった。

 

そして色々と考えた僕が選定した行きつけの店(予定)は近所のチェーンのラーメン屋だった。

 

そのラーメン屋は、家から徒歩圏内で、あまり高くなく、なおかつラーメンという食べ物が学生っぽいからという理由で選定したのだが、そもそも行きつけの店というものは選定するものではなく生活の中で通っていた……というものであるはずなので、選定するという考え方から間違えている。

しかし生活のなかにそういった青春の1ページとして飲食店が選ばれるような人生は送っていなかったので、自ら選定するしかなかったのである。

 

ともかく近所のラーメン屋を行きつけの店にしてやろうと思った僕は、お金に余裕があれば休みの日はラーメン、平日でも晩飯をラーメン、学校からの帰りにおやつ感覚でラーメン……と1ヶ月ほどそのラーメン屋に通い、端っこの席で一番安いラーメンを食べ続けた。

 

そしてついに言われたのだ「いつもありがとうございます」と……。

 

「いつもありがとうございます」その言葉は店員が僕を常連と認めた証である。これはもう、このラーメン屋を行きつけの店と呼んでもいいということであった。

なけなしの学生の資金をひたすらラーメンにあて続け、とうとう僕は憧れだった行きつけの店を手に入れたのだ。

 

が、しかし、この時の僕の胸の内に喜びの感情はなかった。「いつもありがとうございます」という言葉から僕の体に恥ずかしさが染み渡ってきたのだ。

自分から認められていることを欲していたはずなのになぜ恥ずかしくなったのか? ただとにかく店員に認知されているということがひたすら恥ずかしかった。「いつもの」と言うと同じラーメンが出てくるような店との関係を求めていたはずなのにそのかなり前の段階である「いつもありがとうございます」がひたすら羞恥だった。

 

僕はこのとき行きつけの店を持つということをちゃんと理解していなかったのだ。行きつけの店というものはただ通っているだけではダメなのである。その店の常連客にはなれるが、そこから店との関係を維持し続け、他人にも紹介できるような行きつけの店にするには店員とのちょっとした人間関係を築く必要があったのだ。

 

そしてこのとき、僕は店員から投げつけられた「いつもありがとうございます」という最初の人間関係を無視してしまった。

次の日から僕はそのラーメン屋に行くことをやめてしまったのである。また行くのがとにかく恥ずかしかったのだ。「いつもありがとうございます」と言われたくらいで行くのを止める非常にめんどくさい客だと自分でも思う。

 

ーーー

 

それから大学を卒業して、就職した。

僕はここでもまた「いつもありがとうございます」を浴びることになる。

 

僕の勤めている会社が入ってるビルの近くにはコンビニがある。昼休みはここのコンビニで弁当を買い、会社のビルの中にある休憩室で食べるのだ。

コンビニというところはかなり人の出入りが多いところではある、特にオフィスビルが近くにあるコンビニの昼は多いはずだ。なので僕が毎日毎日弁当を買っていたところで店員に認識されることはまず無いだろうとタカを括っていた。

 

しかし僕の何かが印象に残ってしまったのか(スーツなのにクロックスを履いている

ところか、結び目がビロビロのネクタイか、絶対に弁当を温めないところか)店員に顔を覚えられてしまったらしく、ある時期を境に「いつもありがとうございます」と言われるようになってしまった。

 

予兆はあった。

なぜか店員が「お弁当温めますか?」と僕にだけ聞かなくなっていたのだ。

 

お昼のラッシュ時に混み合うレジでも店員は「お弁当温めますか?」と客の1人1人に聞いてレンジを回す。レンジが鳴ったら弁当を出して袋に詰め、「お待たせいたしました」と言って客に渡している。

僕は毎回弁当を温めることを断っていた。何故かというとレジの前で待つのが気まずいのだ。店員さんにわざわざ温めてもらう手間が申し訳ない。同じ理由で店員に取ってもらうおでんも注文するのが苦手だ。

ただしホットスナックは別だ。あれはとっても食べたくなる時があるので店員さんに取ってもらうのもやぶさかではない、というよりも取ってもらうしか手に入れる方法が無いので頑張っているのである。複雑な名前のチキンとか注文するときめっちゃ緊張する。

 

話が逸れてしまったが、とにかく店員は「温めますか?」と必ず聞いてくる。それが通常のコンビニレジの対応だ。

だがそれが、何故か僕の時には無くなった。前の客には聞いてたのに……ワンスキップである。何故だ? 舐められているのか? そう思った2日後くらいに「いつもありがとうございます」と言われた。オイオイ待ってくれよここでも言われちゃうのか? 勘弁してくれ……僕は1度同じことを言われて自分の面倒臭いな内面を認識さられたんだ。もうその言葉は卒業したかったのに……

 

コンビニでまたしても「いつもありがとうございます」と言われた時、僕の胸に湧いた感情はやはり羞恥だった。

 

いつも行くコンビニで自分のことを店員が認識していることを想像してみてほしい。とっても嫌ではないだろうか? あなたはいつものコンビニでどういう人間だと思われているのか想像してしまわないだろうか? 変なあだ名とか付いているんじゃないだろうか?

僕の場合は「クロックス」とか「ビロビロネクタイ」とか「冷やご飯」とかあだ名を付けられているのかもしれない。そう考えると「いつもありがとうございます」という言葉が単純な感謝ではなく、一種の嘲笑のようにも聞こえる。

 

 

いや、それは考えすぎだ。そうも思う。

しかし本当のところはどうなのか? 正解は? 疑心暗鬼が止まらない。

 

やっぱり自分が印象に残ったということ、店員に認識されているということが恥ずかしい。

そして店員からの「いつもありがとうございます」を素直に感謝の言葉として受け取ることが不可能な自分の性格も恥ずかしい。

 

ーーー

 

そしてこれは本当につい最近の話である。

もう僕が言葉の意味や自分の目的にかかわらず、とにかく「いつもありがとうございます」と言われることに恥ずかしさを覚えてしまう人間であることは理解していただけたと思う。

 

先ほどコンビニでも言われてしまったと書いたが、コンビニは僕にとってはライフラインであるので学生時代のラーメン屋のように言われたからといって次の日から行かなくなったということは無い。

しかし代替案というものも欲しくなってくる。特に最近はコロナウイルスの関係であんまり人が集まるような場所は避けていたい。

 

そう思っていたところ、会社の近くの餃子屋が中華弁当を売っていたのだ。

試しに買ってみたところ、そこの店主が思っていたよりも嬉しそうになり、感謝されてしまった。ここらへんの内容はつい最近のブログにも書いたと思う。

 

弁当も美味かった。味も量もいい感じで、金額もすごく安くはないが相場といったところだったし、なにより温度が暖かかった。

いつも冷たい弁当を食っているのは完全に自分のせいなので、冷たい弁当に文句があったわけでは無いが、久しぶりに暖かい弁当を食べるとより美味しく感じたのである。

 

このとき僕が食べたのは唐揚げ弁当だったのだが、その店ではあと「餃子弁当」と「生姜焼き弁当」と「日替わり弁当」の4種類の弁当を売っているとのことだった。

そこの弁当が気に入った僕は、ひとまず4種類全てをコンプリートすることにしたのだ。まぁ日替わり弁当は毎日変わるので、実質3種類だけなのだが……

 

次の日僕は同じ店で日替わり弁当を買った。なぜ日替わり弁当にしたのかというと、その日の日替わりの中身が唐揚げと餃子だったのである。本当は餃子弁当を食べてコンプリートに近づけたかったのだが、昨日の唐揚げがとても美味しかったので誘惑に負けてしまった。

日替わり弁当の唐揚げも餃子も美味しかった。

「なんだ、餃子もちゃんと美味しいじゃないか。明日は餃子弁当にしよう」

 

そして次の日、僕は餃子弁当を買った。

すると店主がはじける笑顔で

 

「いつもありがとうございます!」

と言ってきたのである。

 

オイオイオイオイ!

早くねぇ!?

 

早いよ! 全然“いつも”じゃないじゃん! まだ3回目じゃん!

あなたの店の料理、まだ唐揚げと餃子しか食べてないよ!? 生姜焼きの味知らないよ!?

 

ラーメン屋は1ヶ月、コンビニは1,2年ほど経ってから「いつもありがとうございます」と言われた。ところがこの餃子屋は3回目でである。

なんだこれは、いつもありがとうございますRTAなのか? TASさんがいつもありがとうございますをやるとこうなるなのか? 早いよ、そして恥ずかしいよ、喜ばれてるのは伝わってきたんだけどやっぱり恥ずかしいよ……

 

というわけで、まぁ、コロナで大変なんだろうし、とりあえずゴールデンウィークが終わったら生姜焼き弁当を食べに行こうと思います。

 

以上、恥ずかしいんだよという話でした。